改革をすすめる教育長と半信半疑の教員。断絶を乗り越えられるか?
「管理され決められた授業」に、教員が慣れきってしまっている。
教育改革が叫ばれる日本にあって、現場の教員たちはまだ変わりきれていない。サラリーマン的意識、画一的な授業内容…と課題が山積。一方、そんな状況にあって声を上げ、情熱を持って改革をすすめる教育者達もあらわれ始めている。ジャーナリスト前屋毅氏が追う。第2回。
■「ワーワー思いつきを喋っている」教員たちの複雑な胸中
「学びは面白い!」の実現を目指す【前回記事参照:「学びが面白い!」で旧態依然とした授業を変えていく。福山市教育長の挑戦】、広島県福山市の三好雅章教育長は、「授業を変えるためには、教員の考え方を変えていくしかない」と言う。
これまでの教員が一方的に教える授業では、子どもたち一人ひとりの疑問や意見は無視されがちで、だから面白くない。面白くない授業では、子どもたちの力はつかない。
それを、三好教育長は変えようとしている。「学びが面白い!」を実現する授業は、「子どもたちが主体的で意欲的に学ぶ授業です」とも彼は言う。乱暴に言えば、従来の授業の否定である。教員にしてみれば「大転換」を迫られるわけで、とても簡単なことではない。それだけに、福山市の教員たちの心境は複雑である。
「教育長が目指す授業のモデルみたいなビデオを観たことありますが、子どもたちが勝手にワーワー思いつきを喋っているだけで、何をやりたいのか、さっぱり分からない授業でした」と、ある福山市の中学校教員は言った。
「ワーワー思いつきを喋っている」ような風景が、実は、子どもたちが主体的・意欲的に取り組んでいる姿でもある。従来の授業に慣れている教員には、それを理解することが難しい。
「教員が一方的に教える授業を全面的に認めるわけではありません」と、先ほどの中学教員が言った。さらに、続けた。
「ああいう授業では基礎基本が身につかない。基礎基本は、やはり『教え込む』やり方でなければ身につきません」
三好教育長は基礎・基本もふくめて、ほんとうに「分かる」ためにこそ、子どもたちが主体的・意欲的に学べる授業こそが必要だと言っている。現場の教員たちは、教育長のやろうとしていることを分かりかねているのだ。