読書なんてどうでもいいと思っている人間とは縁を切れ
子供の読書を卒業し、大人の読書をはじめよう。
■読書なんてどうでもいいと思っている人間は論外
読書なんてどうでもいいと思っている人間は論外だ。
縁を切ったほうがいい。
物理的に縁を切ることが難しくても、精神的に縁を切る。
あまり相手にしないということだ。
読書なんてどうでもいいと思っている人間は、世界なんてどうでもいい、人間なんてどうでもいいと思っている人間だ。もっともかかわってはいけない人間である。
結婚相手だって、本を読まない人間はダメ。たとえ、目と鼻と口がついていたとしても、それは生物としてヒトであるだけで、人間とは呼べない。なぜなら読書は人間であることの前提条件だからだ。
大事なことは、真っ当な世界につらなる意志をもつことだ。
子供に見えている世界と大人に見えている世界は違う。
子供の脳に厖大な知識を詰め込んでも、価値判断ができるようにはならない。
当たり前だ。
世界とはそれを受容する側が生み出すものであるからだ。
だから、子供の読書を卒業し、大人の読書をはじめることで、世界自体が変化する。
実際に見えてくるものが違う。
読むべき本を読めば、世界は確実に変わる。
近代とはなにもしないでも人間が汚れていく時代だ。コタツに入って、みかんを食べながらワイドショーを見ているだけで、人間は「悪」とつながってしまう。
正気を維持し、人間として生きるのにも努力が必要です。
単にヒトとして生き延びることが目的なら、餌としての情報を摂取するだけで十分かもしれない。でもそれでは、家畜と同じ。家畜の平和を否定するわけではない。現状に満足しきっている人に何を言っても仕方がない。
しかし、「やはり今の世の中おかしいのではないか」「いまさら手遅れかもしれないけど、人生なんとかしたい」と思っている人は多いはずだ。
家畜の世界とは別に、真っ当な人間の世界が確固として存在することを示していきたい。
<『遅読術』より再構成>
- 1
- 2