徳川家康が実践した戦国一の食養生
戦国武将は皆長生きだった!【和食の科学史⑩】
■白米だと力が出ない?
家康の普段の食事は麦ご飯と味噌汁におかずが一品か二品で、この習慣は、江戸に移り、征夷大将軍になっても変わりませんでした。よく食べたおかずはイワシの丸干しと、同じくイワシの煮付けだったようです。貧しい兵をいたわり、地位のある家臣らの手本になる気持ちもあったでしょうが、健康効果を考えてのことと思われます。
秀吉に長年仕えた加藤清正は身長180センチを超える巨漢で、鬼将軍と呼ばれていました。当時、黒米と呼ばれた玄米を好んで食べ、家訓である『掟書』に「食は黒米たるべし(玄米を食べよ)」とわざわざ書くほどでした。
また、加賀百万石の基礎を築き、身長が同じく180センチ以上あった前田利家も、妻まつとともに生涯玄米を食べたと伝えられています。体の大きな武将は、白米だと食べても力が出ないことを実感していたのかもしれません。
麦ご飯も玄米も、白米とくらべてビタミン、ミネラル、食物繊維が豊富です。図11からわかるように、たとえば玄米の食物繊維は白米の6倍にのぼります。しかし、この違いが体にどれほどの影響を与えるかは、現代の私たちにはイメージしにくいかもしれません。食物繊維が多いといっても、茶碗一杯に入っている量なんてしれているだろう。そう考えてしまいがちです。
しかし戦国時代の武士は、米を一日に5合から、多いときは10合近く食べていました。ご飯1合は米150グラムとされていますから、これにもとづいて計算すると、玄米を5合食べれば食物繊維を22・5グラム摂取できます。現代の若年〜中年男性1人一日あたりの食物繊維の摂取基準20グラムなど余裕しゃくしゃくです。ところが白米だと5合食べても3・8グラムにしかなりません。すべてがこの調子で、摂取できるビタミン、ミネラルの量も段違いでした。
また、当時はつぶした押し麦ではなく、麦の粒を丸ごと使っていました。相当しっかり噛まないと飲み込むのも一苦労だったでしょう。これも良いことで、よく噛むと消化酵素が分泌されて胃腸の機能が高まりますし、副交感神経を刺激するのでリラックスできます。さらに満腹中枢に働きかけて満腹感が得られます。
桶狭間の戦いを前にした信長は、焼いた味噌をご飯に乗せてお湯をかけ、立ったままかきこんで出陣したといわれています。もし、これが家康だったら、どんなふうに腹ごしらえしたのでしょうか。