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戦国武将は皆長生きだった!【和食の科学史⑬】
■体の構造、本当はどうなっているのか?
江戸時代後期の1771年から、明治時代初期にあたる1870年までの100年間の平均寿命を、寺の記録をもとに調べた研究があります。男性が27・8歳、女性が28・6歳でしたが、そんなに短かったのか! と驚かないでください。このうち21歳過ぎまで成長した人に限ってみると、男性は61・4歳、女性は60・3歳だったのです。子どもの死亡率がいかに高かったかということです。近年と異なり、女性のほうが平均寿命が短いのは、出産で命を落とす人が多かったからではないかと推測されています。
健康への関心が高まっても、体の構造に関する知識は江戸時代以前とほとんど変わっていませんでした。人の体を開いて内部の様子を観察するのは死者に対する冒とくだという考えかたも背景にありました。
江戸幕府は鎖国政策を取っていましたが、医学や航海に関する書物は例外でした。とくに8代将軍吉宗以降は、西洋諸国のなかで唯一貿易が続いていたオランダから、洋書が多く輸入されました。西洋の学問を蘭学、西洋医学を蘭方医学と呼ぶのは、当時はオランダを和蘭とか阿蘭陀と表記していたからです。
それまで盛んだった大陸の伝統医学では、人の体を構造ではなく、働きによって分類する五臓六腑という考えかたが主流でした。五臓六腑説では、心、肝、脾などの5つの臓器と、管のようになった胆、胃、膀胱などの6つの臓器、そして、そこに活力のもとである「気」や「血」を送るための12の経絡をもちいて人の体を説明します。
これに対して西洋では、体を実際に解剖して観察する研究が行われていました。日本の安土桃山時代にあたる16世紀後半には、かなり正確な解剖図が描かれています。輸入された洋書でこれらの図を見た日本の医師らは、昔ながらの五臓六腑説とのあまりの違いに驚きました。そして、体内が実際にはどうなっているのか、知りたいと願うようになりました。