大江戸ミシュランに『豆腐百珍』。ベストセラーが続々生まれた江戸のグルメ本
戦国武将は皆長生きだった!【和食の科学史⑬】
■大江戸ミシュランと食べ過ぎのいましめ
江戸時代後期になると、江戸の町には料理屋が軒をつらね、現代のミシュラン顔負けのランキング本やグルメガイドが次々に作られました。ランキングは例によって相撲の番付スタイルで、高級店に混じって鮨屋、蕎麦屋、鰻屋、和菓子屋もしのぎを削りました。まさに飽食の時代です。
これに先立つ江戸時代中期に、『豆腐百珍』という料理本がベストセラーになりました。豆腐の調理法を100通り紹介したもので、これに続いて、鯛、卵、コンニャク、サツマイモ、大根などを素材とした「百珍もの」が次々に出版されています。
ベストセラーが生まれたのは庶民も文字が読めたからです。江戸時代の中期以降、寺子屋が普及し、男の子だけでなく女の子も通学しました。寺子屋で学ぶ生徒の4人に1人が女の子だったといわれ、江戸をはじめとする都市部では女性の師匠も少なくなかったそうです。
江戸時代前期にあたる元禄時代には、松尾芭蕉、井原西鶴、近松門左衛門らが活躍する元禄文化が上方と呼ばれた大坂を中心に栄えました。そして江戸時代後期の文化・文政時代には江戸を中心とする町人文化が花開き、十返舎一九、滝沢馬琴、鶴屋南北らの作品が庶民を熱狂させました。
こういう文化は、同じ時代の西洋ではほとんど見られなかったようです。ヨーロッパは階級社会で、一部のエリートをのぞくと、庶民はあまり読み書きできなかったからです。
江戸の庶民に話を戻すと、豆腐と大根はもともと人気の食材だったようで、白米と合わせて江戸三白と呼ばれていました。確かに、どれも白い色をしていますね。先に書いたように、白米を食べていたのは江戸をはじめとする都会だけでした。そのせいで脚気が続いていたとは残念な話です。
さて、解剖が日本でも行われるようになると、庶民にも科学的な知識が広がり始めました。
ペリー来航間近の1850年に出た浮世絵に、図19の『飲食養生鑑(いんしょくようじょうかがみ)』があります。座敷で酒を飲んでいる男性の体が透明になっていて、臓器が描かれています。体内には小人が大勢おり、食べたものを一生懸命消化しながら、臓器の役割をわかりやすく説明しています。
胃にいる小人たちは、「食事も飲酒も、今の6割くらいにおさえるべきだ。そうでないと寿命が縮むよ」と食べ過ぎをいさめています。肺の小人たちは、うちわであおいで息を出し入れしながら、「うちわの骨も、こちらの骨も折れそうだ。ちょっとは休もうぜ」と、ぼやいています。
心臓には奉行のような小人がいて、「心臓はもっとも大切な臓器ゆえ、よく吟味して、とどこおりなく機能させねばならぬが、乱暴が多くて困るな」と言うと、部下が「さようでございます」と答えます。健康などお構いなしに心臓に負担をかけることを嘆いているのです。アイデアも構図も面白く、現代のアニメーションのはしりのようですね。
このような浮世絵は多数作られ、体の構造、働き、命についての人々の疑問に答える役割を果たしました。