ありがとうの詩〜3.11に寄せて
当たり前のものが一つ一つ得難いものに思えた
あるアナウンサーの友人から聞いた話の記憶も浮かぶ。避難所に取材に出かけた時に、元気な女性たちが洗濯機を前にして、立ち話をしていた。しばらくみんなで和気藹々と話し込んだ。みんな思ったよりも元気な語り口なので、マイクを向けながらも安心したのだそうだ。すると一人の方が命からがら避難をしてきた話をしているうちに、ふと涙ぐんだ。するとみんながそれぞれに泣き出した。
友人は思い出させてしまって、すみませんと即座に話した。すると、聞いてくれてありがとうという声が誰ともなく返ってきたそうである。本当は話をしたかったのだ、と。同じ思いをしているから口にしていないだけで、言葉にして語りたかったのだと言われたそうである。その友人も迷いの気持ちがあったが彼女たちに励まされて、各地の避難所にて色々な方にインタビューをし、熱心にたくさんの方々の気持ちを伝え続けた。
避難所には私も暮らしたことがあるし、人に会うためにあちこちの施設へと足を運んだ。震災を受けた三月が近づいて来ると、呆然としながらもみんなで声を掛け合って過ごしていた日々の光景が、ありありと頭に浮かんでくる。
当たり前のものが一つ一つ得難いものに思えた毎日だった。「文房具」「くつ」「クッキー」「やきそば」…。飾らない言葉だからこそ、真っすぐに届けられる真実がある。この詩に、当時のたくさんの大人たちが涙して励まされた。手帳に書き写している方があったり、その後にポスターになったり、メロディが付けられて歌にもなった。心の傷を抱えていた皆が、無垢な子どもの声を求めていたことが分かる。