芸人としても、経営者としても大活躍の中田敦彦「ジャンルをまたげばイノベーションが起こる」
業界の常識、パワーバランス、不文律、タブー、通例をぶち破れ。
■「芸人」という感覚はなかった
もともと自分が「芸人」という感覚もなかったんですよ。ゼロ年代の初頭、お笑い界がものすごい盛り上がりを見せていて、ゴールドラッシュだった。その中でベンチャーマインド、ビジネスのひとつの形としてお笑いを始めたところがあります。
ぼくの感覚として、タレントも一個のビジネスだし、アパレルもビジネス。純粋に「他ジャンル」にいくという感覚で、お笑いをずっとやっていくよりも、他もやってみたいなと思って。
ジャンルをまたぐことでイノベーションは起こりやすくなるんです。業界の常識、パワーバランス、不文律、タブー、通例…そういったものを気にせず新しいことができる。いわば“外国人”として。そのことにぼくは、音楽を試行錯誤しながらつくる過程で気づきました。
RADIOFISH(※オリエンタルラジオを中心に結成されたダンス&ボーカルユニット)のなにが特異的だったかといえば、サビで目立つのがボーカルではなかったこと。普通の音楽グループだったら、ボーカルがすごい強い意見を持っていますが、そうじゃなかった。そして、ふざけているのか、ふざけていないのかわからない雰囲気も。
そうした自分たちのパフォーマンスを『ENGEIグランドスラム』といった“非・ゴールデン音楽番組”で披露できたのも大きかった。『ENGEIグランドスラム』も『ミュージックステーション』と同じ、視聴率10%をとることができたんですよ。
「みんなが見たことがないもの」を「みんなが見るアーティスト」ぐらいの距離感に見せる。
アパレルを始めるときも、そこはすごく意識していました。いまの時代、普通に黙々服を一生懸命つくっても、勝てない。「ぼくがつくる意味」ということを考えてイノベーションを起こそう。そういうマインドでやってきましたね。もともとぼくはお笑い界に対して、「勉強・受験を頑張ってきたヤツが入ってくる」というイノベーションで入っていったわけですが、そうしたイノベーションを、雪だるま式に積み重ねているなと思います。