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逆光の川越城本丸御殿

外川淳の「城の搦め手」第97回

 石垣によって防御された江戸城は、近世城郭の最高峰に位置する。また、小田原城は箱根峠を固める重要拠点として城内の主要部分が「石垣」で防御される。

 一方、この2城以外の関東の城は、部分的に石垣を使用していても、「土塁」によって防御ラインが構成されているものがほとんど。

 

川越城富士見櫓土塁

 後方の茂みが櫓の基部として盛り上げられた土塁。川越城は、関東における土塁の城の典型例

 

「なぜ、関東の城には石垣が少ないのか?」

 という謎については、石垣築造には莫大な経費と労力を必要としたため、安上がりな土塁ですませるという不文律があったと想定する。

 西国の大名たちは、見栄と外聞のため、競うように立派な石垣の城を築造した。その結果、財政は圧迫され、民衆は酷使されて不満を募らせた。

 家康や秀忠は、身内である譜代・親藩大名に対し、城の外観を競うような無駄をさせず、民衆統治を確実にするため、地味な土塁の城で我慢するように訓告したのだと思われる。

 その点、川越城は、典型的な「土塁の城」である。我が家から川越へは、かつては2度の乗り換えを必要としたが、このごろは、最寄り駅から西武の本川越駅にも東武の川越市駅にも、直通列車で結ばれている。

 思い起こせば、はじめて川越城を訪れたのは、1982年5月のこと。

 その当時、川越城の本丸御殿は、記憶によると、いまだ中学校の施設として利用され、内部は公開されていなかった。

 

川越城本丸御殿

役場・学校施設・煙草工場・武道場。有為転変の第二の人生を過ごす。

 

 その後、雑誌の編集者だった時代にはカメラマンによる撮影に同行。2000年10月と2012年1月には、主催する歴史探偵倶楽部で会員とともに探査。

 近年では、川越の城下町は駄菓子屋横丁を中心に首都圏からの気楽な日帰りスポットとして注目を集めている。

 昨年の夏、もっとも暑かったころ、本丸御殿撮影のため、川越城へ。

 まずは昼食として川越名物の鰻を胃の中へ入れたら、御殿前に到着したのは1時過ぎ。城の御殿は東向きが多く、逆光目の撮影を強いられる。

川越城本丸御殿

 中庭からのカットであれば順光!

 

 そういえば、川越城本丸御殿の写真は、いつも逆光。反省しないのが私の長所とはいえど・・・。

 もし、写真を撮りに行かれる方は、大陽の方角と建物の位置関係、調べてから、時間を決めて行かれるほうがいいと思います。

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外川 淳

とがわ じゅん

1963年、神奈川県生まれ。早稲田大学日本史学科卒。歴史雑誌の編集者を経て、現在、歴史アナリスト。



戦国時代から幕末維新まで、軍事史を得意分野とする。



著書『秀吉 戦国城盗り物語』『しぶとい戦国武将伝』『完全制覇 戦国合戦史』『早分かり戦国史』など。



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