九州にある、世にも奇妙な?古墳の名は「チブサン/オブサン古墳」
奇談倶楽部第4回
■装飾古墳が謎を掻き立てる
日に日に暖かくなり日差しも明るい今日この頃。春ですね!新年度から新しい環境でお仕事などをスタートさせ、それに伴って素敵な新居を探されている方も多いのではないでしょうか。古いけれど個性的な物件といえばやはり「古墳」。…と言う訳で、今回は九州地方にあるチブサン古墳/オブサン古墳、などを中心に、装飾古墳の魅力をご紹介したいと思います。
装飾古墳とはどんなものかというと、内部石室の壁や棺に線刻・浮彫・彩色画などの装飾が施された古墳のことで、全国に約600基あり九州地方にはその半数以上が点在しています。描かれるのは幾何学模様を中心とした円や三角の連続した図形、または武人・船・馬・鳥などの絵で、これらのモチーフからは大陸文化の影響を見ることができますが何を意味するのか謎な物も多く、他の古代文明や神話との関連など様々な憶測、考察がなされています。
チブサン古墳内部へは一日二回、午前10時と午後2時に見学することができます。受け付けは山鹿市立博物館で、徒歩ならば15分程度でチブサン古墳へ到着。このあたり一帯は「肥後古代の森」と呼ばれ文化庁指定の全国11番目になる風土記の丘となっており、チブサン古墳が国定史跡になったのは大正11年。現在のような見学通路の整備と保存の為の補修工事が行われたのが1972年で、さらに平成の発掘調査では古墳の周囲を囲む溝や埴輪などが出土しました。石室内の壁は阿蘇山の溶岩石を積み上げて作られ、天井部分は大きな一枚岩で覆われています。こういった石室のスタイルを肥後型石室といい、主に熊本県で作られていました。周囲の土地に古くから道路が作られたり開墾等が行われてきた影響でチブサン古墳の全長は削られた状態になっており、本来は55メートルを超えていたと推測されます。
チブサン古墳から約200メートルほどの所にオブサン古墳があり、そちらの裏手付近は西福寺古墳群と呼ばれる場所で、円墳1基・方形周溝墓2基・石棺12基と数多くの古墓や遺構を見ることができました。こちらにある石棺などは未調査のもの、県内のほかの場所から移してきたものなどが身近な距離に触れられる形で置かれているため、一つ一つ周りながら散策するにはうってつけかも知れません。
オブサン古墳にはチブサン古墳と同じく最奥に屍床とよばれる遺体を安置するための家形の棺があり、その手前にさらに4つの屍床が設けられていました。一族の死者を追葬するためです。一番初めは豪族の墓として作られたオブサン古墳。いったいどのような変遷をたどったのでしょうか。