葬儀・霊園と紙おむつCMが、平成社会を反映している?
キーワードで振り返る平成30年史
わたしは幸運なこどもだった。幼少時代、青春期を振り返った時、つらいピリオドのほうがはるかに長かったにもかかわらず。その理由はお葬式にある。
同級生たちは早くて幼稚園、遅くとも高校までには何らかの形で葬式への参列デビューをさせられていった。だがわたしは高校どころか大学、院生時代においてさえも葬式への参列を経験することはなかった。最初に経験したのは社会人になって数年後のこと、病から逝去してしまった比較的仲の良かった同級生の葬儀だった。その次は自殺したかつての顧問。だが、この期に及んでもわたしは身内の葬儀というものを体験せずに済んでいた。
30になったかどうかの頃、同業者から「先生はおじいさん、おばあさんはご健在ですか?」と尋ねられたことを覚えている。その際、どちらも生きていると答え、「おばあさんはともかくおじいさんが元気でいらっしゃるのは珍しいですねえ」と驚かれたものだ。
それから月日は流れ、あのあと、あっという間に祖母の死を経験し、その数年後にはあれほど元気だった祖父が旅立ち、「ああ、これで次の次は俺か、でもまだ次になるまでに20年あるから」などと不謹慎極まりないけれども真正直なことを考えていたら、その半分で父が逝ってしまい、葬式に参列したことがないどころか、喪主まで経験しちまったよと。
春早々、こんな話を前置きにしたのは、昨今、出張先のホテルの客室などで、時計代わりにテレビを付けていると、あのたぐいのCMを目にする機会が多くなったと実感したからだ。あのたぐいのCMとは葬儀会社・葬儀場のCMである。むろん以前からこの手のCMもなかったわけではないが、もっとずっと少なかった。流される時間帯も平日の午前とかお昼とかに限られていたように思う。
まさに今、思い出した。それでも平成初期は霊園のCMは多かった。そうだ、都心から○○分だとか、付近に子供連れで遊べるスポットがあるから週末のお出かけを兼ねてお墓参りできるとか、やたら明るいイメージで宗旨宗派を問わない霊園のCMがよく流れていた。
あの頃はまだ都心回帰の流れも、屋内墓地やマンション霊園もよほど敏感な人以外は察知できていなかった時代。まして墓じまいなどという言葉は存在すらしていなかった。
テレビCMというのは、一部のイメージ広告や就活生向けアピールを除けば、視聴者の消費で元が取れる、いや、元を取るためのもの。したがってテレビCMはその時代に生きる人々のニーズ、ひいてはその時代そのものを象徴する。バブルの頃に霊園のCMが多かったのは地価高騰、宅地不足の時代を象徴しているし、一方で昨今葬儀会社のCMが多いのは言うまでもなく、人口のボリュームゾーンがそろそろその時期を迎えつつあることを象徴していると言える。
葬儀会社と霊園の比較もさることながら、これもかなり対照的なCMとして、こちらはかなり多くの人が「言われてみればそのとおりだ」を実感できるCMがある。それは紙おむつのCMだ。
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