なぜイランで、人前でプロポーズした男女が逮捕されたのか!?
えらてん×中田考の ビジネスに役立つ「宗教入門」 〈第1回〉
■公私が区別されるイスラーム
中田:この一件について「なぜ愛が裁かれないといけないんだ」という批判がありますが、それは違います。裁かれたのは顔を覆わなかったなどの「行為」であって、内心の愛じゃないんですね。
えらてん:イランでも内心の自由は裁かれないと。
中田:そうそう。イスラームでは公の場と私的な場がはっきり区別されているんですね。ですから、今回の動画のようなことも、公開したから問題になったので、家の中で身内だけでやっているだけなら、黙認されます。
えらてん:日本だとその辺はあいまいですよね。電車内でキスをしていたら、異様だとは思われるけれど逮捕はされないでしょう。でも性交渉に及んだらダメ。じゃあ押し倒したり、いちゃつくのはどうかというと、程度問題です。
中田:どこまでが良くてどこからがダメか決まってないのですね。でもイスラームでは、はっきり決まっているんです。シーア派の国であるイランではお坊さんというか、「モッラー」と呼ばれる聖職者が国を支配しているんですが、彼らへの批判の自由もあるんです。デモをしたり、新聞に投書したりとか「公然」と批判するのはダメですけれど、私的に、家の中では批判していますし、タクシーなどに乗っていても運転手がハーメネイ最高指導者の悪口を平気で言ったりしています。シリアみたいな独裁国家だとどこにいようと秘密警察の監視の目が光っており、みつかれば逮捕されますので、家族の前でも批判はできないんですけれどね。
えらてん:我々の持つ「言論の自由」のイメージからは違和感がありますが、そういう秩序形態もあるわけですね。
中田:だいたい、日本だって言論の自由はどんどん失われていますよね。政府批判はしづらくなっているでしょう。
えらてん:確かに、Youtubeでも政権を批判する動画はあまり評価されないでしょうね。