呼吸器をつけられ、もう会話もできない父。そのとき息子が思い浮かべた心配事は。
【隔週木曜日更新】連載「母への詫び状」第三十九回
■今度はおとうちゃんが倒れた
〈連載「母への詫び状」第三十九回〉
(〈第三十八回:母と父、悪い出来事は連鎖する。穏やかな時期は突然終わった。〉から続く…)母を救急車で病院へ連れていき、がんの脊椎への転移が判明した数日後。今度は父が入所先の特養から救急車で病院へ搬送された。
「お父さまが倒れました。**病院へ向かってください」
夜の道を自転車で飛ばしながら、正直に言えば、父の病状を心配するよりも前に、そのタイミングの悪さがうらめしかった。
父のアクシデントはいつも、母が大変なときに重なって起きる。母は当分のあいだ寝たきりの入院生活が続くため、食事もひとりではとれず、毎日ぼくが介助すると決めていた。
「よりによって、どうしてこんなときに……。今、おとうちゃんのことは全部、施設に任せておきたいのに」
駆けつけてみると、父の症状は予想していたよりずっと深刻だった。すでに意識はなく、脳出血だという。
すぐに手術が始まり、命の危険があるので待機していてくださいと言われ、背筋が寒くなった。
救急外来の待合室のような場所で、父に付き添ってくれた介護職員と世間話をしながら、時間が過ぎるのを待つ。
「どうして特養っていうのは、医者が常駐してないんですかねえ。特養こそ医者がいつもいるべきなのに」
「私もそう思います。でも、医師がいると住居ではなくなってしまうとか、いろいろ難しい問題があるようです」
これは要介護者を抱える家族の“よくあるある話”で、別に不満を訴えたわけではない。ほかに話題が見つからず、ただ待つしかできない状況の中で、沈黙を避けたかっただけだ。
待つだけで何もできない無力感というのは、両親の世話を始めてからたびたび経験してきたが、そんなときは気をそらしたほうがいいと学習するようになった。
しばらくして手術が終わり、医師の説明があった。
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