呼吸器をつけられ、もう会話もできない父。そのとき息子が思い浮かべた心配事は。
【隔週木曜日更新】連載「母への詫び状」第三十九回
■父は一命をとりとめた。だが、もう会話ができない。
父の命は助かった。しかし、もう会話もできない。呼吸はしていても、自分では何もできない。いわゆる植物状態と呼ばれる状態である。正しくは、遷延性(せんえんせい)意識障害とか、持続的意識障害と呼ばれるらしい。
呼吸器をつけられてベッドに横たわる父を見ながら思い浮かんだのは、1週間ほど前に施設を訪れて会話しておいて良かったという安堵と、今もしも父が逝ってしまったら母が葬式に出られないじゃないか、どうすればいいんだろうという現実的な気がかりだった。
ぼくがおとうちゃんと最後にかわした会話は何だったっけと思い出そうともしたが、頭がよく回らない。認知症になる前の父はよく「ポックリいきたい」と口にしていたから、まだ命があるとは言え、実質これがポックリにあたるのか、それともこれはポックリにあたらないのかと、変なことも考えた。
父が搬送されたB病院は、母の入院していたA病院とは別で、自宅から反対方向だった。
実は父を搬送しますと連絡があったとき、母と同じ病院に連れて行って欲しいという考えも一瞬浮かんだが、夜間の救急搬送は日によって優先する搬送先が決まっているようで、そこは任せるしかなかった。
結果的にこのとき、母と違う病院に入院したことで、父の最期の数ヶ月をぼくはほとんど放ったらかしに近い状態で終えてしまう。遠慮せずに強くお願いして、同じ病院へ運んでもらえば、その後の父のケアをもっと上手に、もっと手厚くできたのに、という後悔や申し訳なさは今も残っている。
そして、今もしも父が死んでしまったら、母が葬式に参列できなくなってしまう――。そのとき抱いた懸念が、その後の父の延命治療に影響を与えた。
延命治療を望むか、望まないか。
いざ家族の立場でこの問題に直面すると、自分が頭で考えていたようにはいかない。そのことを思い知らされた。
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