「対人トラブルを繰り返す人」の共通点や生い立ちに表れる「毒親」の存在【沼田和也】
『牧師、閉鎖病棟に入る。』著者・小さな教会の牧師の話
なぜ人を傷つけてはいけないのかがわからない少年。自傷行為がやめられない少年。いつも流し台の狭い縁に“止まっている”おじさん。50年以上入院しているおじさん。「うるさいから」と薬を投与されて眠る青年。泥のようなコーヒー。監視される中で浴びるシャワー。葛藤する看護師。向き合ってくれた主治医。「あなたはありのままでいいんですよ」と語ってきた牧師がありのまま生きられない人たちと過ごした閉鎖病棟での2ヶ月を綴った著書『牧師、閉鎖病棟に入る。』(実業之日本社)が話題の著者・沼田和也氏。沼田牧師がいる小さな教会にやってくる人たちはどんな悩みをもっているのだろう? 今回、対人トラブルを抱えてやって来る人たちの共通点と、そこに潜む根深い問題について語ってもらった。
教会に相談に来た人、あるいは電話をかけてきた人のなかには、次々に対人トラブルを起こしてしまう人もいる。そのトラブルだけを見ていれば、なんだこの人はと思うかもしれない。けれども、その人の生い立ちを聞いていると、そうならざるを得なかった事情が垣間見えることがある。今回は、そんな話をしようと思う。
健康的に社会生活を送っている人、大過なく学校や会社で過ごせている人には、なかなか分からないことがある。「他人との距離感」である。いや、他人との距離感が分からないのは対人トラブルを繰り返す人のことだろうと、読者は思われるかもしれない。だが、そうではない。滑らかな人間関係をすでに築くことができている人は、そもそも他人との距離感など気にしないからである。そういう人にあらためて「トラブルを起こさない距離感とはどういう距離のことですか」と尋ねたとしよう。彼ら彼女らの多くは即答できないと思う。「呼吸をするとはどういうことですか」と訊かれるようなものだからである。そんなことを尋ねられても多くの人は「息なんて自然にするだろう、どうやってもなにもないじゃないか」と戸惑うだろう。
しかし、対人コミュニケーションに挫折を積み重ねてきている人たちにとっては、事態はそうではない。彼ら彼女らにとっては、まさに「息の仕方が分からない」のである。息の仕方が分からなければ、窒息してのたうち回るだろう。人との関係がことごとくうまくいかないというのは、それくらい苦しいことなのである。だから、どうにかならないものかと、そういう人は解決方法を探し求めている。カウンセリングを受けたり、精神科に通ったり。できることはすべてやっている。でも、うまくいかないのである。過去の苦しみを抱えている人は、とくにそうである。