戦国の覇者とは、「プロパガンダ」のチャンピオンである
ビジネスマンもヒントにできる戦国武将の策略
■戦国時代の合戦はセレモニーにすぎない
戦国時代というと、大名が天下取りを目指して近隣諸国と戦い、弱い国を併呑しながら大国になり、最後は織田信長が他の大名に先駆けて京都に上った時代だと思われがちですが、ぜんぜん違います。読者の皆さんは歴史小説や大河ドラマなどでそうした印象を持っているかもしれませんが、こうした戦国時代のイメージは、江戸時代の講談以来、繰り返し強調され、人々に刷り込まれてきたものです。
戦国時代は、基本的に小氷河期と言われる慢性的な飢餓期で、全国で食糧の奪い合いが多発していたのです。そうしたもめごとを解決するのは、本来ならば足利将軍の役割なのですが、小氷河期という環境下では傑出したリーダーが現われにくいこともあって、みんな仕方なく自力救済をしていただけなのです。
つまり、誰一人、「俺が天下を取る !」などと考えていません。
「天下を取る」とは足利将軍にとってかわることですが、仮にとってかわったって上手くいかない時代ですから。
東北地方など、戦国末期に蘆名氏が伊達政宗に滅ぼされるまで、痴話げんかのような合戦しか起きていません。東北の大名小名は全員が親戚で、「ウチの田んぼから稲を盗んだ !」レベルのもめごとを解決するために、双方が兵を出し、気が済んだら引き返す、を繰り返していました。下手すれば死人も出ないような合戦もあります。
ただし、これに利権が絡むと、多少は本気度が増します。博多湾の利権をめぐり、少弐・大内・大友が争い、少弐・大内両氏が没落、大友氏は新興の毛利氏と飽くなき抗争を続ける、という具合です。
では、勝敗を決するのは何か。
合戦は、最後のセレモニーです。いわば現代の選挙と同じです。
合戦前に神社などで行う出陣式は、地元の神主を押さえるという意味があり、今で言う「票を固める」のと同じです。いかに敵陣営の票田を食うか、中間層を味方につけるか、味方を固めるか、というプロパガンダが実は戦国の戦の肝でした。
神社で大軍を集めて出陣式をやれば、「ああ、多数派はこちらに集まったな。この戦は勝ちだ」とみんな思います。そうした空気は周辺に広がります。そうなると少数派からは櫛の歯が欠けるように離脱者が続出するため、合戦は掃討戦になります。
敵の陣営を調略し、自陣営の優勢をプロパガンダする――調略とプロパガンダを足して「間接侵略」と言いますが、軍事的な直接侵略の前に、間接侵略で大勢は決まっているのです。
戦国時代の戦は、プロパガンダ合戦です。豊臣秀吉はそれが一番うまかったから天下人になれました。ならば、その秀吉の死後に天下を奪った家康もまた、プロパガンダの達人に決まっているのです。