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『吾妻鏡』を愛読していた家康は歴史認識をプロパガンダした

徳川家の歴史戦に学べ。

■『吾妻鏡』を愛読していた家康

 

 家康は豊臣家を、大坂冬の陣と続く夏の陣で滅ぼします。

 家康が豊臣家にケチをつけるのに使った、有名な「国家安康・君臣豊楽」の鐘銘事件については、NHK大河ドラマ『真田丸』が真相を披露していました。これまでの通説では、家康の言いがかりに過ぎないとされてきましたが、真相は「国家安康・君臣豊楽」は豊臣側が意図的に行った本当の嫌がらせだったということです。文字を書いた坊さんがぺらぺらとしゃべってしまい、臭わすというレベルではすまなくなったということのようです。

 鐘銘事件は慶長19(1614)年の出来事です。その頃になると、徳川の天下はすでに、徳川が悪者になっているほうが庶民のガス抜きになっていいという状況にまでなっています。元和元(1615)年の大坂夏の陣の後、真田幸村が豊臣秀頼を背負って薩摩に逃げたみたいな噂が流れます。徳川はそういった噂をわざと野放しにしています。それが実は徳川流の統治術なのです。

 徳川はガス抜きが得意です。つまり、悪口はどんどん言え、ということです。実権を握っているから、痛くもかゆくもありません。

 ちなみに、真田の話はいつのまにか、薩摩に逃れた秀頼は大酒飲みで島津の殿様を困らせて、みたいな話に変質していき、豊臣が無力化されていくわけです。

 みなさんが習ってきた、徳川・三河武士団とぜんぜん違う実像が見えてきました。ここまで述べてきたような経緯で出来上がった三河武士団のイメージが、「最強」そして裏切り者が出ない「結束力」です。だから、信義を守り忠義をつくせ、というメッセージが力を帯びます。そういう三河武士団だったからこそ天下をとれたのであり、天下をとった神君家康には決して逆らってはいけない、ということになります。

 三河武士団は、噓の混ぜ方が巧妙です。かなりのことが本当です。無いことはつくりません。真相は真逆のことであっても、みんながそう信じています。

 ちなみに、鎌倉の北条家も歴史戦が得意でした。『吾妻鏡』という鎌倉時代末期に成立した歴史書があります。鎌倉幕府初代将軍・源頼朝から第6代将軍・宗尊親王までの将軍記です。

『吾妻鏡』には、頼朝の間抜けさが随所に出てきます。頼朝のカリスマ性を称えながらも、人間的に問題があったから世は北条に移ったのだというストーリーに読者を誘導しています。

 プロパガンダとは「意思」です。

 自分の意志をどのように他人に押し付けるか、どうコントロールしたいのかという意思です。

 家康は、『吾妻鏡』を愛読していました。天下を仕切る実務だけではなく、歴史認識をプロパガンダするということを勉強していました。

 日本人は、歴史戦で勝てないとか、そういうわけではまったくない民族なのです。そんなボヤキ方をするくらいなら、徳川家の歴史戦に学ぶべきです。

『プロパガンダで読み解く日本の真実』より構成〉

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倉山 満

くらやま みつる

憲政史研究家

1973年、香川県生まれ。憲政史研究家。

1996年、中央大学文学部史学科国史学専攻卒業後、同大学院博士前期課程を修了。

在学中より国士舘大学日本政教研究所非常勤研究員を務め、2015年まで日本国憲法を教える。2012年、希望日本研究所所長を務める。

著書に、『誰が殺した? 日本国憲法!』(講談社)『検証 財務省の近現代史 政治との闘い150年を読む』(光文社)『日本人だけが知らない「本当の世界史」』(PHP研究所)『嘘だらけの日米近現代史』などをはじめとする「嘘だらけシリーズ」『保守の心得』『帝国憲法の真実』(いずれも扶桑社)『反日プロパガンダの近現代史』(アスペクト)『常識から疑え! 山川日本史〈近現代史編〉』(上・下いずれもヒカルランド)『逆にしたらよくわかる教育勅語 -ほんとうは危険思想なんかじゃなかった』(ハート出版)『お役所仕事の大東亜戦争』(三才ブックス)『倉山満が読み解く 太平記の時代―最強の日本人論・逞しい室町の人々』(青林堂)『大間違いの太平洋戦争』『真・戦争論 世界大戦と危険な半島』(いずれも小社刊)など多数。

現在、ブログ「倉山満の砦」やコンテンツ配信サービス「倉山塾」(https://kurayama.cd-pf.net/)や「チャンネルくらら」(https://www.youtube.com/channel/UCDrXxofz1CIOo9vqwHqfIyg)などで積極的に言論活動を行っている。

 

 

 

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