父に胃ろうを造るべきか。胸がキリキリ傷んだ、たったひとりの決断。
【隔週木曜日更新】連載「母への詫び状」第四十回
■一番大事な人の意見は…
ステージ末期の進行がんである母に、父の死やら延命治療やらの相談を持ち出すのは気が重かったが、一番大事な人の意見を聞かないわけにはいかない。
「うーん……。私にはわからない。二郎が決めて」
それが母の答えだった。
兄や弟とも、蘇生措置を行わないという点では一致したが、兄がこんなことを言い出した。
「胃ろうもやめようよ。あれは良くない。胃ろうはダメだ」
胃ろうというのは、胃にチューブを通して直接、食物や水分などの栄養を投与する医療措置のこと。口から食べ物を摂取できなくなった人に施され、胃ろうを造る手術はPEGと呼ばれる。
2010年頃だっただろうか、胃ろうの是非がマスコミでもよく取り上げられた時期があった。
「人間は口から物を食べられなくなったら、それが寿命。胃ろうを造ってまで延命させるべきではない」
「これは人間の尊厳の問題。胃にチューブをつながれてまで生きていたいのか!」
「日本は胃ろう大国。お手軽に造りすぎて、医療財政を圧迫している」
そんな批判が多く、2014年には胃ろうに関する保険制度が改定されている。医師の診療報酬が大幅に下げられ、乱造に歯止めがかけられた。ぼくもぼんやりと「胃ろうは望ましくない、減らすべき延命治療の代表」のような印象を持っていた。
父が救急搬送されて数週間後、病院から胃ろうを造るかどうかの打診と説明があった。
父のような症状の場合、最初は「点滴」→鼻からチューブを入れて栄養を送り込む「経鼻胃管」→「胃ろう」という順番をたどることが多いらしい。だから、わかりやすく言うならば、鼻チューブから胃チューブに変えますか、という選択になる。