父に胃ろうを造るべきか。胸がキリキリ傷んだ、たったひとりの決断。 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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父に胃ろうを造るべきか。胸がキリキリ傷んだ、たったひとりの決断。

【隔週木曜日更新】連載「母への詫び状」第四十回

■胃ろうはメリットが大きかった

 調べてみると、胃ろうはメリットのほうが大きいように思えた。鼻チューブより患者の負担が小さい。ケアの手間も減る。誤嚥性肺炎のリスクを減らせる(これについては根拠がないと主張する人もいる)。

 さらに現実問題として大きかったのは、病院から「胃ろうを造れば、うちで入院を継続できる。でも、胃ろうを造らない場合は、転院してもらうことになる」と説明されたことだ。

 胃ろうの患者は、療養型の病院も含めて、受け入れてくれる施設が多い。しかし、胃ろうでない患者は、受け入れてくれる病院や施設が一気に減る。経鼻チューブの患者は、たんの吸引などの手間がかかり、世話する側の負担が大きいためだという。

 試しに、胃ろうをしなくても受け入れてくれる病院を探してみたが、自宅から汽車で1時間以上かかる町の病院が最も近かった。

 そんなところへ転院してまで「胃ろうはしません!」と突っ張る理由は、ぼくにはない。それに鼻チューブより、胃チューブのほうがずっと苦しくなさそうだ。父はしゃべれないから、見かけでしか判断できないけど。

 なんだか書いているうちに、父に胃ろうを造ったことの言い訳をしているような気分になってきた。自分の中に、延命治療は望ましくないという負の感情があるからだと思う。

 心肺停止からの蘇生までは望まない。しかし今は、父が少しでもこのまま長く、命のある状態を保って欲しい。そのためにプラスになることは、お金がかかってもやってあげたい。

 あと何ヶ月か父が頑張ってくれれば、母も葬式に参列できるようになるだろう。「そんな理由で長生きを望むのか!?」と聞かれたら「そうです。そんな理由じゃダメですか」と答えるしかない。

 父の葬式に一番必要なのは、母だ。母が車いすでもいいから参列できるように回復するまで、父には生きていてもらないと困る。

 延命治療がその願いをかなえてくれるなら、ぼくはそれを選ぶ。

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夕暮 二郎

ゆうぐれ じろう

昭和37年生まれ。花火で有名な新潟県長岡市に育つ。フリーの編集者兼ライターとして活動し、両親の病気を受けて帰郷。6年間の介護生活を経験する。



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