いま耳を傾けるべきユダヤ人の教え「現金主義に徹しよ、銀行は信じるな」
ユダヤ人にとって、日本の銀行の金庫は…
■銀行の金庫はハリコの虎か
昭和45(1970)年1月、商用で来日したデーモンド氏が私のオフィスを訪ねて来た時、私はニューヨークでのお返しの意味もこめて「きょうは私の金庫をお見せしましょう」と申し出た。私の金庫は、私の会社と同じビルの一階にあるS銀行新橋支店の金庫室にある。
エレベーターで地下一階に降りると、入口で受付嬢が愛嬌たっぷりに言った。
「いらっしゃいませ。藤田さんですね。何番でございますか」
私が番号を言うと、受付嬢はキイで私の金庫をあけてくれた。
「オー・ノー」
オフィスへ帰ってくると、デーモンド氏はオーバーなゼスチュアで私に忠告した。
「私は、あんな危険な金庫は絶対にいやだね。エレベーターで降りるとすぐに金庫の受付があって、しかもそこにいるのは若い女性じゃないか。もしも、銀行ギャングが機関銃を構えて現れたら、誰がどのようにして、あなたの財産を守ってくれるのかね。そんな金庫に、私は自分の財産を預ける気にはなれないよ。金庫は絶対的な安全を保証できる場所にあるべきだ。日本の銀行の金庫は、ハリコの虎みたいなものじゃないか。いざという時何の役にも立たないね」
デーモンド氏は恐ろしそうに首をすくめた。そして、初めて見た日本の金庫のことがよほど気になったらしく、しつこいほどブツブツ言った。
「私が銀行の金庫にキャッシュを保管するのは、絶対安全に私の財産を保護してくれるからだ。日本の銀行の金庫は、単なる銀行サービスのひとつの現れにすぎない。あまりにも危険がいっぱいすぎる……」
ただでさえ銀行を信用しようとしないユダヤ人にとって、日本の銀行の金庫は、とてもキャッシュを保管できる代物ではないようだ。
〈『ユダヤの商法』より構成〉