美空ひばり、手塚治虫、松田優作、竹下登の金庫番……。平成元年を象徴した6人の最期
昭和から平成へと移りゆく「時代」の風景が見えてくる「平成の死」を振り返る。
世の中は慶賀のムード一色にも見えますが、これからどんな時代になっていくのでしょうか。
「平成」時代における「死」にそれを解くカギがあると語るのは、この度『平成の死 ~追悼は生きる糧~』(KKベストセラーズ)を上梓し、話題となっている著述家・宝泉薫氏だ。
これから拓かれていく「令和」の時代を見すえるヒントを宝泉氏が特別寄稿した。
(『平成の死: 追悼は生きる糧』より)
■美空ひばり、手塚治虫、松田優作、竹下登の金庫番……。平成元年を象徴した6人の最期
令和はどんな時代になるのだろう。それを解くカギのひとつが「死」だ。人は誰かの死に、時代のうつろいを見いだしたりする。たとえば平成元年、昭和の終わりを感じさせたのが美空ひばりの死だった。
昭和63年4月、東京ドームでの公演で大病からの復活を果たしたものの、肝硬変などによる体調不良は深刻で、改元の翌月にはツアー先で倒れてしまう。新たに突発性間質性肺炎を発症しており、親友の中村メイコに「苦しくて息が続かないのよ」と電話で告白するまでになっていた。
本人は懸命に再起を目指したが、病勢は進み、6月13日、呼吸補助装置をつけるために喉を切開することを承諾。この時点で「歌手・美空ひばり」は事実上の死を迎えた。子供のころ両親に「歌わせてくれないのなら、死ぬ!」とまで言った本人にすれば、苦渋の選択だっただろう。それを決意させたのは「人間・加藤和枝(本名)」としての養子・加藤和也(弟・哲也の子)への想いだった。
「早く元気になって和也と楽しい人生を送り度いと夢見て居ます。(略)ママは、今度こそなやみを引きずって死にたいなんて思わずに、生きる事に向って進みます」
5月の母の日、プレゼントへの感謝の手紙にそう綴ったひばり。しかし、その最期の願いはかなわず、6月24日、52年の生涯を閉じることになる。
KEYWORDS:
『平成の死: 追悼は生きる糧』
鈴木涼美さん(作家・社会学者)推薦!
世界で唯一の「死で読み解く平成史」であり、
「平成に亡くなった著名人への追悼を生きる糧にした奇書」である。
「この本を手にとったあなたは、人一倍、死に関心があるはずだ。そんな本を作った自分は、なおさらである。ではなぜ、死に関心があるかといえば、自分の場合はまず、死によって見えてくるものがあるということが大きい。たとえば、人は誰かの死によって時代を感じる。有名人であれ、身近な人であれ、その死から世の中や自分自身のうつろいを見てとるわけだ。
これが誰かの誕生だとそうもいかない。人が知ることができる誕生はせいぜい、皇族のような超有名人やごく身近な人の子供に限られるからだ。また、そういう人たちがこれから何をなすかもわからない。それよりは、すでに何かをなした人の死のほうが、より多くの時代の風景を見せてくれるのである。
したがって、平成という時代を見たいなら、その時代の死を見つめればいい、と考えた。大活躍した有名人だったり、大騒ぎになった事件だったり。その死を振り返ることで、平成という時代が何だったのか、その本質が浮き彫りにできるはずなのだ。
そして、もうひとつ、死そのものを知りたいというのもある。死が怖かったり、逆に憧れたりするのも、死がよくわからないからでもあるだろう。ただ、人は自分の死を認識することはできず、誰かの死から想像するしかない。それが死を学ぶということだ。
さらにいえば、誰かの死を思うことは自分の生き方をも変える。その人の分まで生きようと決意したり、自分も早く逝きたくなってしまったり、その病気や災害の実態に接して予防策を考えたり。いずれにせよ、死を意識することで、覚悟や準備ができる。死は生のゴールでもあるから、自分が本当はどう生きたいのかという発見にもつながるだろう。それはかけがえのない「糧」ともなるにちがいない。
また、死を思うことで死者との「再会」もできる。在りし日が懐かしく甦ったり、新たな魅力を発見したり。死は終わりではなく、思うことで死者も生き続ける。この本は、そんな愉しさにもあふれているはずだ。それをぜひ、ともに味わってほしい。
死とは何か、平成とは何だったのか。そして、自分とは――。それを探るための旅が、ここから始まる。」(「はじめに」より抜粋)