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あおによし 奈良の都の多聞山城①

季節と時節でつづる戦国おりおり第377回

 もうすっかり夏の日差しですね。戦国史跡メグリストには体の負担が多い、つらい季節です。でも梅雨に入ればウロウロもしづらくなりますから、今がかきいれどきなのであります。

 というわけで、近鉄奈良駅降りたって西へテクテクテクテク。20分ほどテクテクテクテク。若草中学の校舎が小山の上にあるのにぶつかります。

 

 何度か来ているのですが、写真の通りここは松永久秀の多聞城(多聞山城)跡。

 永禄年間(1558~1570)に久秀が城郭を築くまではこの小山は「眉間寺山」と呼ばれていたことで分かるように眉間寺という寺院の敷地で、久秀によって西隣りの聖武天皇陵の前に移された寺の跡には「眉間寺遺跡」の石碑もあります(城跡の西側の道沿い)。

 

 寺があったということは墓地もあったということで、城跡からはたくさんの石塔・墓石などが発掘されています。今回はそれを撮影したいと考えて訪問したわけです。

 とはいうものの、それは学校の中。しかもド平日の昼間ですから、ちゃんと許可をいただいての立ち入り・撮影です。

 

 いかがですか、なんとも壮観でしょう?

 実際にはこのフェンスの中だけでなく、その外にも発掘された石塔・石仏・墓石が置かれていますが、その中には、墓地跡に埋まっていたものだけではなく石垣などに転用されていたものもきっと混じっているのでしょうね。

 なにしろ、多聞山城は暗きょにした排水溝、土塁の基礎など非常に多く石塔・石仏・墓石を転用していたそうですから。

 不思議なのは、その石材の群のなかに比較的新しい時代のものもあったことです。あれはどういう経緯でこの場所に?

 なお、お聞きしたところ、今も毎年供養をおこなっておられるそうです。

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橋場 日月

はしば あきら

はしば・あきら/大阪府出身。古文書などの史料を駆使した独自のアプローチで、新たな史観を浮き彫りにする研究家兼作家。主な著作に『新説桶狭間合戦』(学研)、『地形で読み解く「真田三代」最強の秘密』(朝日新書)、『大判ビジュアル図解 大迫力!写真と絵でわかる日本史』(西東社)など。


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