【連載 奇談倶楽部 第5回】
思わず人に話したくなる
浮世絵を100倍楽しく観る方法
奇談倶楽部第5回
新しい元号、新しい時代。新緑に気持ちも新たな季節。如何おすごしでしょうか。今回は「古き時代」の人々が楽しんだ文化をお届けしたいと思います。「浮世絵」と聞いてどんなイメージを持たれますか。ちょっと高尚な?美術館でながめる?
…いえいえ。写真の無い時代それはもっと気軽なものでした。遠い観光名所の風景を伝え、噂で聞く人気役者の姿を実際に手に取って見ることができるもの、ブロマイド的な役割まで。ただ眺めているだけでも面白い浮世絵ですが、さらに一歩踏み込み身近なものとして見ていきましょう。
そもそも広義な意味での浮世絵は江戸時代に成立し、世相や文化を反映した絵画をさします。時代が下ると木版画が主流になりますが、肉筆画も含まれます。浮世絵のパイオニア的な菱川師宣の見返り美人図なども代表的な肉筆浮世絵です。
浮世絵師には開幕から幕末までだけでも様々なタイプの絵師がおり、それぞれに特徴的な個性を持っていました。たとえば鳥居派の開祖、鳥居清長は役者の一枚絵の発明者でもあり役者絵が専門。しかし美人画でも人気を博します。そして美人画といえば美人大首絵(上半身から上アップの構図の絵)で有名な北川歌麿、90歳まで長生きして90回以上転居し、30以上の雅号を持った怪老人…いや、大巨匠の葛飾北斎、…月岡芳年は「歴史絵」を得意とし緻密なタッチで怪奇的な作品も多数残し、現代でもファンが多く度々話題になる…などなど。有名どころだけでも大勢います。
そんな、江戸の人々の人気をあつめた浮世絵でしたが幕府の出版物に対する規制は時代によって異なり、絵師やその版元(今でいう出版社)などが度々、規制・処罰の対象になりました。例えば社会風刺、役者絵に派手な色彩を使った、過激な内容の本を出版したなど。罰としては手鎖50日など、絵師に手錠をしたまま自宅謹慎で過ごさせるものがあり、歌麿なども刑を受けました。歌麿は当時描くことを禁止されていた秀吉をモチーフに扱い、秀吉が遊興する姿に徳川家斉への風刺を滲ませたため。また版元の蔦屋重三郎は吉原のあれこれを書いたガイドブック「吉原細見」を出版しヒットを飛ばすも山東京伝の洒落本を出したため禁令に触れ、財産の半分を没収されています。寛政2年。寛政の改革により出版物の規制がさらに厳しくなると出版物には検印が押されるようになりました。
ほかにもよくみると浮世絵にはたくさんの印がありギュッと情報が詰まっているのです。
この、二人の絵師のコラボ作品。「東海道五十三次」などで有名な歌川広重(現代では安藤広重でよく知られている)がなぜ背景担当なのかと疑問に思うかも知れません。しかし現在ではあまり知られていませんが当時の人々の間では、豊国は歌麿や北斎を超えるほどの超人気絵師で、美人画や役者絵を数多く残しています。広重は豊国の弟子を希望しましたが定員オーバーでダメだった過去もある程です。こうしたコラボは珍しいことではありませんでした。年玉とは歌川派共通の紋で「年」という字を草書に崩して円にしたものです。ちなみに豊国の門人であり、明治の写楽などとも呼ばれた大首絵を得意とする豊原国周もこの年玉や囲いを使ったりしています。
さて。①から⑤まで見てきましたこちらのコラボ作品。絵の登場人物は幕末の人気役者、澤村由次郎(のちの三世田之助)と、兄の澤村訥升です。しかしどこにも名前は書いてありません。当時の人々はどうやって判別していたのでしょうか?まず、⑥と⑦の柄を見てみると人物が手に持っている手ぬぐいに渦や波のような模様があります。そして千鳥が飛んでいますが、これは「澤村千鳥」「観世水」という澤村家に縁のある柄です。また着物の柄の中にある丸に花びらのような図柄は釻菊といって澤村家の替紋(定紋以外で用いる紋)です。定紋は丸に井の字ですが兄の訥升の着物には井の字が描かれており、絵のタイトルである「当盛十花撰夏菊」も千鳥の図柄のなかに描かれています。こうしたことから当時の人達は絵の人物を当てることができました。もっともそれ以前に現代の私たちでも何枚も役者絵を見ていると、それぞれの顔と特徴がわかるようになってくるので、当時ならなおさら図柄やマークなどが無くとも大丈夫だったかもしれません。誰だか判じる為というよりはむしろ、そうした家紋などのさりげない配置を愉しんでいたのでしょう。他にも四本の縞に四つの輪「四環」と中村芝翫(しかん)を掛けた柄などそれぞれに特徴があり、細かい所に色々見つけるのも楽しみの一つです。