慶應幼稚舎では1年生からパソコンを使う
慶應幼稚舎の秘密⑤
■慶應幼稚舎では1年生からパソコンを使う
幼稚舎では「教科別専科制」を敷き、担任が教える科目と、専科教員が教える科目が分かれている。前述したように、担任は国語、社会、算数、総合(生活)、体育の一部を受け持ち、それ以外の科目を専科教員が受け持つ。 専科授業としては、第1章でくわしく見てきた英語と理科以外に、音楽、絵画、造形、体育、習字、情報がある。いずれも、専門の教育を受けた教員が授業に当たる。英語と理科を除き、これら専科科目の中で、特に注目は「情報」科だ。3年間の試行期間を経て、2001年度から1〜6年生の全学年が学ぶ教科として正式採用された。全教科の中で、もっとも新しい科目である。
どんな科目なのか。幼稚舎のホームページには、次のように紹介されている。
「さまざまな作品づくりを通じて、デジタルデータやデジタルメディアの扱い方、表現の仕方を学びます。具体的にはPCやタブレットの基本操作やプレゼンテーション、ネットマナー、プログラミングなどを扱います」
簡単にいってしまえば、「パソコンの使い方を学ぼう」という授業である。英語の必要性を強く感じ、初等教育の段階から習得する場を設けた福澤諭吉だが、もし彼が現代に生きていたら、率先して幼稚舎にパソコンの授業を導入していたに違いない。いまはパソコンを使いこなせなければ、学問の場のみならず、ビジネスでも大きく取り残されていくのは必至。英語も英文学者になるために習得する(中にはそうした生徒もいるだろうが)わけではなく、海外の人たちとコミュニケーションをとるための身近なツールにすぎない。パソコンも英語と同様、日常生活に不可欠なツールなのである。
そして、英語もそうだが、パソコンもなるべく早いうちから使いこなせるようになったほうがアドバンテージが大きいのはいうまでもない。頭が若く柔軟なうちに始めたほうが、基礎を習得する時間が短くて済むうえに、さらにその次の段階の応用編にも進みやすい。
「急速にパソコンが普及した1990年代後半、幼稚舎の授業にも取り入れるべきではないかという声が強まってきました。ただし、それを何年生から始めたらいいのか、よくわからなかった。専門家と相談すると、できるだけ早いほうがいいとの意見が多く、結局、1年生から授業を設けることになったんです」(幼稚舎関係者)
■新学習指導要領の20年前からITを
学ばせていた慶應幼稚舎の先見性
情報科のカリキュラムを見ると、1〜2年生はマウスの操作、キーボードでローマ字入力、ファイルを開く、などの基本操作ができるようにすることが目標になっている。といっても、生徒たちが面白がりながら学べることが前提だ。第1章の理科のところでも述べたが、楽しくなければ、なかなか身になっていかないのだ。低学年の授業では、すんなりパソコンに馴染めるように、遊び心を前面に押し出している。
1年生はウインドウズのグラフィックソフトウェア「ペイント」を使ったお絵描き。さらには、パソコン基礎スキル教材「ポケモンPCチャレンジ」でマウス操作の練習をする。2年生はお絵描きソフト「キッドピクス」で絵を描いて、そのファイルを保存したり印刷をする。
3〜4年生はデジタル作品づくりにチャレンジ。パワーポイントやワードを使いこなせるようにする。5〜6年生はパワーポイントを使って、研究発表するためのデータをまとめることを目指す。また、6年生ではエクセルも使いこなせるようにして、クラス内のアンケート調査をグラフにまとめて、その結果を基に考察する。さらには、インターネット上の著作権にまつわる問題を取り上げ、その取り扱いについても学ぶ。
「情報科で6年間かけて習得したスキルがあれば、ビジネスの現場でもすぐに通用するといわれるほど」と、前出の幼稚舎関係者は胸を張る。
新学習指導要領で2020年度から小学校におけるプログラミング教育が必修化されることが決まっている。文部科学省もやっと、小学生の段階からコンピュータに触れる必要性に気づいた感がある。
そういう意味では、試行期間も含めると、すでに20年以上も前から、教育プログラムにITスキルを身につけさせるための授業を取り入れていた幼稚舎教員陣の卓見には驚かされるばかりだ。まさに、福澤諭吉から連なる類まれな先見性は、この幼稚舎においてはいまだ健在というほかない。
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『慶應幼稚舎の秘密』
著者/田中 幾太郎
一説には東大理IIIに入るよりもハードルが高いと言われる慶應義塾幼稚舎。小学校“お受験”戦線では圧倒的な最難関に位置づけられるブランド校だ。
慶應大学出身者の上場企業現役社長は300を超え、断然トップ。さらに国会議員数でも慶應高校出身者が最多。エスカレーター式に大学まで上がれるということだけが、幼稚舎の人気の理由ではない。
慶應の同窓会組織「三田会」(キッコーマン・茂木友三郎名誉会長、オリエンタルランド・加賀見俊夫会長などが所属)は強い結束力を誇り、政財界に巨大なネットワークを張り巡らしているが、その大元にあるのが幼稚舎なのだ。
慶應では幼稚舎出身者を「内部」、中学以降に入ってきた者を「外部」と呼び、明確な区別がある。日本のエスタブリッシュメント層を多く輩出してきた“慶應”を体現し維持しているのは、まさしく幼稚舎であり、多くの者が抱くそのブランド力への憧れが人気を不動のものとしているのである。同書では、出来る限り多くの幼稚舎出身者にインタビューを行い、知られざる同校の秘密を浮かび上がらせていく。