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「蘇我」の血の極めて薄い皇極が、即位できた理由

聖徳太子の死にまつわる謎㉙

■皇極天皇の女性として、妻としての不思議な立場

大化の改新後の皇位継承/『聖徳太子は誰に殺された』関裕二著(ワニ文庫)

 改革派・蘇我 四朝廷守旧派・中大兄皇子という図式が浮かび上がってくることになる。

 ただし、ここでひとつの疑問にぶつかる。それは、皇極天皇は蘇我氏全盛期に擁立された天皇で、当然「親蘇我派」であったとみなしてよい。これを悪くみれば、「蘇我の傀儡」ということになる。また、孝徳天皇も、これまでみてきたように、蘇我氏と強いつながりをもっていた。そうなると、皇極の子で孝徳の甥の中大兄皇子が、なぜ「反蘇我」の急先鋒に立ってしまったのか、疑念が生じる。

 すると、「皇極と孝德は親蘇我派」という私見そのものがまちがっているのだろうか。 あるいは、中大兄皇子が突出する何かしらの理由が隠されていたのだろうか。

 この謎を解きあかすヒントは、ふたつあるように思われる。以下、その理由を掲げておこう。

 第一のヒントは、皇極天皇の置かれた不思議な立場にある。 そもそも問題は、なぜ「蘇我」の血の極めて薄い皇極が、即位できたのだろう。もちろん、蘇我本宗家が皇極を皇位に押し上げたのだろうが、その理由がはっきりとしない。皇極天皇は、敏達天皇の曾孫で、皇族としても亜流である。 皇極即位にいたるいきさつは、次のようなものだ。

 

  話はいささかさかのぼる。欽明天皇の御子が順番に即位(敏達、用明、崇峻)し、 最後に推古女帝が擁立された。その推古天皇は長寿で、聖徳太子をはじめとする欽明天皇の孫の代の孫の有力皇族が、みないなくなってしまった。そこで皇位継承問題が勃発したという。

 推古天皇崩御の段階で候補にあがったのは敏達天皇の孫の田村の皇子(のちの舒明天皇)と、聖徳太子の子の山背大兄王である。

『日本書紀」に従えば、田村皇子を推したのは蘇我本宗家で、山背大兄王を推したのは、 蘇我の枝族である。なぜ蘇我本宗家は、「蘇我系の山背大兄王」ではなく、蘇我とは無縁の田村皇子を推したかというと、通説は、次のように説明する。すなわち、田村皇子と蘇我系の女人の間に、古人大兄皇子がいて、将来的には、この人物を推戴しようと考えていたからだ、というのである。

 だがそれならば、なぜ舒明天皇の崩御ののち、蘇我本宗家はすぐさま古人大兄皇子を擁立せず、皇極天皇を押し上げたのだろう。

「それは、皇位継承問題がこじれるのを避けるため」

 という説明もあるが、納得できない。なぜなら、皇極が即位すれば、舒明と皇極の間に生まれた中大兄皇子が白位継承候補の筆頭格にのしあがり、いっそう混乱するのは目に見えていたはずなのであり、事実蘇我本宗家は、滅亡している。ならばなぜ、練我本宗家は皇極天皇を推したのだろうか。

(次回に続く)

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関 裕二

せき ゆうじ

 



1959年生まれ。歴史作家。仏教美術に魅了され、奈良に通いつめたことをきっかけに、日本古代史を研究。以後古代をテーマに意欲的な執筆活動を続けている。著書に『古代史謎解き紀行』シリーズ(新潮文庫)、『なぜ日本と朝鮮半島は仲が悪いのか』(PHP研究所)、『東大寺の暗号』(講談社+α文庫)、『新史論/書き替えられた古代史』 シリーズ(小学館新書)、 『天皇諡号が語る 古代史の真相』(祥伝社新書)、『台与の正体: 邪馬台国・卑弥呼の後継女王』『アメノヒボコ、謎の真相』(いずれも、河出書房新社)、異端の古代史シリーズ『古代神道と神社 天皇家の謎』『卑弥呼 封印された女王の鏡』『聖徳太子は誰に殺された』『捏造された神話 藤原氏の陰謀』『もうひとつの日本史 闇の修験道』『持統天皇 血塗られた皇祖神』『蘇我氏の正義 真説・大化の改新』(いずれも小社刊)など多数。新刊『神社が語る関東古代氏族』(祥伝社新書)



 


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  • 2015.07.18