わたしが好きになった、キベラスラムの話をちょっとだけ。
~彼ら彼女たちに給食を届けたい!~
失恋と過労で、心身ともに瀕死……命からがら出発した、アラサー・独身・彼氏なしの世界一周ひとり旅。行き詰まり・生きづらさを感じているすべての人を、打開と気づきの旅路へと連れていく奇跡の旅行。
失恋と過労で、心身ともに瀕死……命からがら出発した、アラサー・独身・彼氏なしの世界一周ひとり旅。行き詰まり・生きづらさを感じているすべての人を、打開と気づきの旅路へと連れていく奇跡の旅行記『旅がなければ死んでいた』。
本稿ではその中から少しだけ、中身をちょっとだけ。
ケニア・ナイロビのスラム街で出会った最初の体験ををピックアップ
明るいし、よく笑う
ナイロビの西側にあるスラム街・キベラは、広さがおよそ2.3平方㎞。
これは皇居+皇居外苑の面積とほぼ同じで、東京都品川区の10分の1ほどにあたる。ちなみに巨大オフィス街・品川の昼間の人口は54万人だ。
一方キベラの人口は、100万人とも120万人とも、200万人ともいわれている。こんなにも幅があるのは、調べようがないから。
なかなかピンとこないかもしれないが、仙台市の人口が108万人、広島市は119万人、さいたま市が129万人。つまり、これほどの数の人間が、皇居+皇居外苑の面積に全員住んでいると思ってもらえばいい。相当な人口密度なのはおわかりいただけるだろう。
殺人、強盗、レイプ、虐待が日常茶飯事だと聞いていたが、実際にキベラを歩いてみると、悲惨な空気は微塵も感じられない。そういう雰囲気は、路地裏や家のなかで息をひそめているのだろう。
外にいる住民たちは、誰もがあっけらかんとしている。東京にいる人々よりも、よっぽど明るいし、よく笑う。
スラムには高い建物がないので、空が広い。ピーカンの青空に、どこからか聞こえる陽気な音楽、大きな笑い声。
子どもたちは外国人がめずらしいのか、ひたすら「ハロー」を繰り返してついてくる。歩いているうちに、いつのまにか人数が増えて「ハロー」の大合唱が始まる。
道は舗装されておらず、土がむき出しになっていて、どこもかしこもビニール袋が大量に落ちている。
これは「フライング・トイレット」と呼ばれるものだ。スラムなので、家にトイレはない。有料のトイレはあるが、圧倒的に数が足りていないし、用を足すたびにお金がかかるのはつらい。なので、スラム住民はビニール袋のなかに用を足して、その袋を家の外に投げる。だから、フライング・トイレット。
道行く人に踏まれて袋が破けるので、道は汚物だらけ。それでも覚悟していたほどの悪臭はない。そりゃ少しは臭うけど。
キベラは人が多いせいもあるが、とにかく賑やかだった。道の左右にびっしり並ぶバラック商店街にも活気がある。
肉屋は塊を大胆に切り分け、床屋にはオシャレにいそしむ客がおり、揚げパン屋は小気味いい音を出しながらフライをし、野菜売りは地面に青々とした菜っ葉を並べ、溶接工は道ばたで火花を散らして何かを作っている。
見たこともない草木を、煎じて売っている薬草屋もあった。ドクターアジュオガと名乗る店主の男性は、昼間だというのにすでに酔っぱらっている。目はうつろで千鳥足ながらも、いちおう仕事をする気はあったらしく、遠目に見学していたわたしにも、なにか作ってやろうと言い出した。
特に健康上の問題はなかったので、なにをお願いしようかと思っていると、ドクターは「惚れ薬もあるぞ」とニヤリと笑う。
いつかまた誰かを好きになれたら試してみたいと思い、それをいただくことにする。
なにか薬草を調合してくれるのかと期待していたが、彼は駄菓子屋によくある「よっちゃんイカ」の容器に似たプラスチックボトルから、数本の短い枝を取り出して、それを紙でぐるぐると包んで、手渡してきた。
ドクターの説明はこうだ。惚れさせたい相手と会う日には、朝起きてからこの枝を奥歯で噛み締めたまま、誰とも会話しないまますごす。そして、最初の一言をお目当ての相手と交わせば、たちまち夢中になって恋がはじまる。
酩酊している店主の言うことは疑わしいが、話しているあいだにも彼のつくる風邪薬をわざわざ買いにくる人もいたので、あながちヤブでもないのかもしれない。
効果も検証したいし、なにより好きなひとに惚れてもらえる確率を少しでもアップさせたいので、100シリング(約110円)で惚れ薬(小枝)を買った。
早く愛すべき人と出会って、この枝を奥歯で噛み締めたい。
けど相手はいない。どこにいる。地球のどこかに存在しているなら早く会わせてくれ。
こんな感じで、キベラの雑踏を数分歩いた先にあるのが、マゴソスクールだ。
スラムに暮らす子どもたちのうち、特に環境の悪い子のためにつくられた、駆け込み寺のような学校である。
設立したのはキベラに住む女性、リリアン。9人の弟妹と11人の異母弟妹の長女だった彼女は、早くに両親を亡くしてから残りの弟妹の面倒を見なくてはならなくなった。工事現場に頼み込んで仕事を得たり、草花を摘んで街で売り歩いたりしながら20人の弟妹たちを育てあげたのだ。
そして1999年、同じように親を亡くした子どもたちの拠り所になるような場
所をつくりたいと、小さな寺子屋をはじめたのがマゴソのはじまり。
最初は自分の弟妹と、近所にいる十数人の子どもの世話をしていたのだが、彼女の活動を聞きつけて多くの人が集まるようになる。
貧困児童、孤児、虐待被害、浮浪児などの救いの場として、いまではマゴソは生徒600人を抱える大所帯となった。
このキベラで暮らす子どもたちは、親がシングルマザーやシングルファザーであることが多く、両親・親戚のいない孤児もいます。保護者は毎日必死に仕事を探し、働いていますが、家族が満足に食事できるほどの収入を得ることは、非常に困難です。食費のために子どもが働きに出ることもあります。
わたしはご縁があって何度もキベラを訪れ、取材にもいきましたが、運良く仕事を得ている保護者であっても、収入は1日100-200円ほどです。
貧困家庭の子どもたちが未来を変えていくためには、教育が必要です。読み書き・算数ができず、基礎教養がなければ、仕事を得ることは一層むずかしくなります。しかし、学校に来ることができても、空腹のままでは集中して学ぶことはできません。
ですので、私の友人がいるキベラにある学校「マゴソスクール」では、給食を出しています。内容はとても質素で、昼食はギゼリ(豆とトウモロコシの煮込み)のみです。
給食で出されたものを、わざと残して、家で待つ弟妹のために持ち帰る子もいます。給食の残りが、家族全員の貴重な食料にもなっています。空腹が満たされれば、食べ物の心配をせずに、食費のための労働をせずに、勉強に集中できます。
スラム街キベラで暮らす子どもたちにとって、給食はとても大切なものなのです。
キベラでは、いままでは国連のWFP(World Food Program)からの食料配給があり、1人1食10円の予算で給食(昼食)を作れていました。
しかしながら、キベラ全体へのWFPからの食糧配給が停止されることになり、今後は1人1食25円の費用がかかります。コストが一気に2.5倍……。これは大変な痛手です。
いままでに出会った子どもたちや友人が困っているのは悲しいことなので、できる範囲で、できることをしたい。せっかくのタイミングなので、これをきっかけに動いてみることにしました。
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『旅がなければ死んでいた』
著者:坂田 ミギー
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