信長の娘と北陸新幹線開業―後篇
外川淳の「城の搦め手」第114回
北陸新幹線といえば、2015年3月の開業当時は、始発列車のチケット争奪戦がテレビで放映されたものの、さすがに開業から9日も経過すれば、苦もなく、金沢―東京間の普通座席の指定券を確保できた。
開業当日の混雑した列車に乗る気は、まったくない。国鉄全線乗破の流れから新線が開業すると、とにかく乗るのが勝手に課した自身への義務。
最近、鉄道ファンへの認知は高まったものの、長期間にわたり、白眼視されてきた習性から、日の目を見たという感触はない。また、自分自身がほかの鉄道ファンに対し、偏見を抱いているのかもしれない。
いつものように銭湯巡りのついでに金沢城へ立ち寄った。金沢城内の玉泉院庭園には体育館が建設され、往時の姿を失っていたが、建物の撤去とともに発掘調査が開始された。
詳細な経緯はこちらのサイトを参照。
発掘調査の成果や、古絵図を元にして復元作業が進められ、新幹線開業と呼応する形で公開された。
探査当日は、曇りがちだったが、一軒目に入浴するあたりから小雪が舞い散り、玉泉院を探査するころには吹雪となり、三軒目から出たころには晴れていた。日本海沿岸では、よくある気候のため、驚きもせず、城下町金沢の光の変化を楽しんだ。
金沢駅から兼六園までバスに乗車したが、首都圏で利用可能な交通系パスを利用できなかった。
開業日に備えてのシステム変換をしないことに対し、おもてなしの気持ちに欠けていた、と思うのは針小棒大な批判だろうか。
新幹線開業バブルに湧いていた頃の城下町を見極めるという意味では、貴重な体験だった。