さいはての大地を進むローカル列車の旅 2
咲来、紋穂内、比布……珍駅名も楽しい北海道
稚内を出てほぼ2時間、特急停車駅でもある天塩中川あたりから車窓右手に天塩川が見えてきた。蛇行する川の流れに沿って列車はゆっくりと進む。佐久駅あたりで大きく左に曲がり、東へと向きを変えたのちも地形に逆らわずに左へ右へと車体をくねらせて走る。筬島駅の手前で天塩川が大きく曲がっているところがある。対岸には「北海道命名之地碑」が立っているが、車窓から確認するのは至難の業である。幕末から明治にかけて蝦夷地を探検した松浦武四郎が、このあたりでアイヌの古老に教えられたカイという言葉にヒントを得て北加伊道という名を思いついたと言われている。それから150年、2019年は北海道にとって節目の年となったのである。
天塩川に沿ってしばらく進むと、宗谷本線全線のほぼ中間地点に当たる音威子府に到着。列車が遅れていたので、運転士が交代すると、慌ただしく発車した。
咲来(さっくる)の次は、天塩川温泉駅。といっても温泉の最寄り駅らしい賑わいなど全くなく、短い板張りのホームと小さな待合室があるのみの淋しい駅だ。温泉は駅から何とか歩いて行けるところにあるけれど、音威子府駅からバスで行く方が便利とのこと。1日4往復の列車が停まるだけだし、使い勝手がよい列車ダイヤでもないのでまともな利用者は皆無だろう。温泉の知名度を上げるために駅名としたみたいだ。
豊清水、恩根内(おんねない)と小ざっぱりした三角屋根の駅舎が続き、紋穂内(もんぽない)では、久しぶりに現われた車掌車の車体利用の駅舎が目に留まったが、朽ち果てる寸前みたいで悲しい。初野(はつの)を過ぎると周囲が開けてきて、農業倉庫の前を通り過ぎると特急停車駅の美深に到着した。周辺にある温泉や湿原などの観光スポットの看板が目立つけれど、その中に「走る森林浴トロッコ王国」というのがあった。かつて美深駅から分岐していて「日本一の赤字線」として名を馳せた美幸線というローカル線の廃線跡を利用した観光施設だ。
美深からは、山間部を脱して、ひろびろとした田園地帯を走る。といっても人家は疎らだ。日進駅に停まり、名寄川を渡ると名寄に到着。稚内発の列車はここが終点だ。運転士さんの予告通り、いつの間にか遅れを回復していて、定時にホームに滑り込んだ。同じホームの反対側で待っていた旭川行きの快速「なよろ」には余裕で間に合った。稚内からほぼ4時間乗り通した各駅停車の旅は終わったけれど、休む間もなく、次の旅が待っていた。
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