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廊下橋復元のブーム到来?-後篇

外川淳の「城の搦め手」第117回

 廊下橋または鞘橋とも称される屋根付きの橋は、敵兵の侵入を防ぎ、味方が安全に通行できるようことを目的とし、建設された。ただし、実質的には軍事面よりも、城主の権威づけのため、通常の露天ではなく、屋根付きの橋が造営された。また、屋根を付けることによる腐食の防止という意味もあったという。

二条城本丸東櫓門と橋
二条城と本丸と二の丸の間には廊下橋が架かっていたものの、昭和初期に老朽化によって解体された。

 二条城の廊下橋は、その代表例。資材は保存されているとのことであり、ほかの城であれば、組み直すところ、二条城の場合、今さら観光客を誘致する必要もなく、現状のような露天の状態が続いている。

高松城天守台と鞘橋
天守台には玉藻神社が鎮座しており、解体修理以前の姿。鞘橋は、江戸時代後期に腐食の防止のため屋根付きとなった。高松城の場合は現存建築ではなく、昭和の復興建築に分類される。

府内城廊下橋
1996年復元。発掘調査と古図面によって再建される。府内城の探査については、本ブログ83回を参照願いたい。

 府内城は、現存の櫓とコンクリート工法による復元櫓という城郭建築の組み合わせの状況が続いていたことから、木造で復元された橋は、アクセントとなったといえよう。

和歌山城御廊下橋
2007年復元。発掘調査と古図面によって再建される。

 和歌山城の廊下橋は、庭園との通行のために造営され、江戸時代には、通行が藩主と、その従者に限定されていた。

会津若松城廊下橋
かつては屋根付きだったことから、廊下橋と称された。2010.4.26撮影。桜満開の季節に訪れる。

 なんとなく、赤い欄干で日本建築らしさが演出されているものの、会津若松城の場合、橋としての建築技法は、鉄筋コンクリート製。

 老朽化の激しい城内の橋は、安全面から撤去され、鉄筋コンクリート製につけかえられた事例が多い。

 廊下橋や鞘橋に限らす、橋の在来工法での再建は。お城の世界では、今後のトレンドになりつつある。

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外川 淳

とがわ じゅん

1963年、神奈川県生まれ。早稲田大学日本史学科卒。歴史雑誌の編集者を経て、現在、歴史アナリスト。



戦国時代から幕末維新まで、軍事史を得意分野とする。



著書『秀吉 戦国城盗り物語』『しぶとい戦国武将伝』『完全制覇 戦国合戦史』『早分かり戦国史』など。



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