廊下橋復元のブーム到来?-後篇
外川淳の「城の搦め手」第117回
廊下橋または鞘橋とも称される屋根付きの橋は、敵兵の侵入を防ぎ、味方が安全に通行できるようことを目的とし、建設された。ただし、実質的には軍事面よりも、城主の権威づけのため、通常の露天ではなく、屋根付きの橋が造営された。また、屋根を付けることによる腐食の防止という意味もあったという。
二条城の廊下橋は、その代表例。資材は保存されているとのことであり、ほかの城であれば、組み直すところ、二条城の場合、今さら観光客を誘致する必要もなく、現状のような露天の状態が続いている。
府内城は、現存の櫓とコンクリート工法による復元櫓という城郭建築の組み合わせの状況が続いていたことから、木造で復元された橋は、アクセントとなったといえよう。
和歌山城の廊下橋は、庭園との通行のために造営され、江戸時代には、通行が藩主と、その従者に限定されていた。
なんとなく、赤い欄干で日本建築らしさが演出されているものの、会津若松城の場合、橋としての建築技法は、鉄筋コンクリート製。
老朽化の激しい城内の橋は、安全面から撤去され、鉄筋コンクリート製につけかえられた事例が多い。
廊下橋や鞘橋に限らす、橋の在来工法での再建は。お城の世界では、今後のトレンドになりつつある。