初めての手紙で報告した同性のパートナーのこと
葬式にも出なかった娘だけど…
私のパートナーについての告白(カミングアウト)
母への手紙「伝えられなかった想い」
さ と み(女性 29歳・東京都)
思い返せば母の日など一度も祝ってあげたことがなかったね。
葬式にも顔を出さず私は本当に親不幸な娘でした。
上京してからすぐに会社を辞めてしまったことを報告したときに、お母さんに責められたように感じて頑固な私はそれ以来、実家に帰ることもなく結局最期まで喧嘩したままだったね。
お母さんはいつも一番に私のことを考えてくれて、あのときもただ、心配してくれてただけだと今ならわかるよ。
手紙も一通も返せなくてごめんね。
「いい人が居たら、実家に連れておいで」と手紙をくれたよね。
お母さんには報告できなかったけど、実は同性のパートナーと付き合っているんだ。
孫の顔も見せてあげられないし、お母さんが悲しむんじゃないかと思ってなんとなく言い出しづらくて実家に帰れなかったのもあるんだ。
心配ばかりかけてごめんね。
突然のカミングアウトでびっくりさせちゃったかな?
伝えられなかったことがたくさんあって後悔ばかりだけど、天国でいつものように明るい笑顔で私の幸せを願ってくれているといいな。
<『伝えられなかった想い』>の向こう側
生前、母との関係があまりうまくいっていなかった。そんな人からも多くの手紙が寄せられました。
母と息子もありますが、それ以上に母と娘のほうがちょっとしたことでぶつかってしまい、なにかとこんがらがってしまうことが多いようです。
さとみさんもそんなひとりです。
『思い返せば母の日など一度も祝ってあげたことがなかったね。
葬式にも顔を出さず私は本当に親不幸な娘でした』
手紙の冒頭を読むだけで、その状況がうかがい知れます。
さとみさんにとって母とはどんな人だったのか尋ねてみると、「損得よりも情で動く優しい人でした」と答えてくれます。
そして、幼い頃によく絵本の読み聞かせをしてくれたエピソードを振り返ります。
ただ、母娘の関係は一度こじれるとなかなか修復の糸口が見つけられないこ
ともあり、さとみさんの場合も意見がぶつかることが多く、徐々に口数が少なくなっていったそうです。
7年前に上京してから、そんなさとみさんのもとには心配する母からの手紙が年に一度 送られてきました。でも、素直になることができず、一通も返すことができませんでした。
『手紙も一通も返せなくてごめんね』
手紙では『結局最期まで喧嘩したままだったね』と綴っています。
「ぶつかっても、もう少し話をしておけば良かった」と亡くされた今、感じている心境を 正直に語ってくれます。
初めて母に書いた手紙。
さとみさんにとってはどんなものとなったのでしょう。
「後悔があったので、少し楽になりました」と話します。
手紙に書かれた『伝えられなかった想い』は母のところにきっと届いているはず。和解への一歩を踏み出せたのではないでしょうか。
戦後70余年にわたり、我が国の家庭文化に深く根を下ろした「母の日」。近年、GWから母の日(5月の第2日曜日)にかけてお墓参りを行い、亡き母を偲ぶとともに家族の絆を確認することが、中高年を中心に広がっています。「母の日参りパートナーシップ」は、 「母の日」が実は「亡き母を偲ぶ一人の女性の呼びかけで始まった」という由来を知り、長寿社会の今後にも色褪せることなく、人々の心に豊かさをもたらす記念日であるように、ソーシャル・キャンペーンを展開している13団体が集結しています。