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トカレフTT30/TT33 ~大祖国戦争(第二次世界大戦)を戦い抜いた安全装置なき軍用拳銃~

戦場の兵士が頼った腰に下げた「最後の切り札」【第二次大戦軍用拳銃列伝⑤】

■トカレフTT30/TT33 ~大祖国戦争(第二次世界大戦)を戦い抜いた安全装置なき軍用拳銃~

トカレフTT33。7.62mmトカレフ弾の弾丸は、工場や製法の違いで鋼製の弾芯が用いられていることがあり、その場合は結果的に貫徹力が向上してしまう。これが原因で同弾は実際以上に大威力と思われて、センセーショナル好きのマスコミから「ボディアーマー(防弾衣)を貫通する銃弾」と呼ばれたりもした。

 帝政時代、ロシア軍はベルギーで設計されたM1895ナガン回転弾倉式拳銃と、同時期にドイツから輸入したマウザーC96シリーズ自動装填式(オートマチック)拳銃を軍用拳銃として採用。革命後にソ連軍となってからも使用を継続してきたが、1928年、それらに代わる国産オートマチック拳銃の開発を決定した。

 かつてロシアの銃器製造技術は遅れており、だからこそ、ベルギーやドイツからの輸入拳銃に頼ったわけだが、革命後のソ連政府は、さまざまな分野での急速な科学技術振興を望んでいた。そこでその一環として、この新しい軍用拳銃の設計を、国内の銃器技術者たちに競作させることにした。ただし開発時に課せられた条件があり、有事には大量に消費されることになる弾薬にかんして、マウザーC96シリーズに用いられている7.63mmマウザー弾と、それをソ連で国産化した7.62mmトカレフ弾(7.62mmタイプP弾)を使うことが求められた。

 こうして、フョードル・ヴァジレヴィッチ・トカレフが手掛けた設計が、1930年にTT30として制式採用となった。制式番号の最初のTは、本銃の開発に携わって最初に生産したトゥーラ兵器工廠の頭文字、続くTは設計者トカレフの頭文字、最後の数字は制式化年の下二桁を表わすもので、やがて量産性向上のため、各部にさらなる省力化改修を施したマイナーチェンジ・モデルのTT33へと生産がシフトした。

 トカレフは本銃の設計に際して、第一次大戦で使用されて優れた運用実績を示したアメリカ製のコルトM1911ガバメントをベースにしたといわれるが、簡略化と合理化を図った結果、ガバメントより約20%も部品点数を減らすことに成功している。だが一方で、サム・セイフティー(手動安全装置)まで省略したため、薬室に弾薬を装填した状態での安全な携行が不可能になるという、使用上の大きな不都合も起きた。

 もっともこれは、取り扱い訓練の時点で薬室内に弾薬を装填しての携行を禁ずることによってしのげる問題点であり、本銃を開発させて運用していた当事者のソ連軍は、兵器としての大きな弱点とは捉えていなかったようだ。逆に、極寒状態での銃の内部凍結や、砂塵や泥濘によって銃内部が極端に汚れた状態でも、細かい動作をするため故障や作動不良の原因になりかねないセイフティー関連のメカニズムが省かれていることにより、不作動を極力起こさせないという観点から評価されていたともいう。

 とはいえ、本銃の特徴を踏まえた相応の運用訓練を受けない限り、やはり暴発事故が起こる危険性は決して少なくなかったため、のちに輸出仕様や民間仕様の本銃が生産された際には、改めてサム・セイフティーが付け加えられて使用時の安全性の向上が図られた。

 なお、本銃や系列銃は、かつて社会主義圏の国々でライセンス生産され、中国でも生産されており、近年、日本に密輸された中国製トカレフによる犯罪が起きたケースがいくつか知られている。

 

【データ】
製造国:旧ソ連
製造開始年:1930年
全長:19.8cm
銃身長:12cm
重量:810g
装弾数:8発
使用弾種:7.62mmトカレフ弾
ライフリング:4条/左回り

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白石 光

しらいし ひかる

戦史研究家。1969年、東京都生まれ。戦車、航空機、艦船などの兵器をはじめ、戦術、作戦に関する造詣も深い。主な著書に『図解マスター・戦車』(学研パブリック)、『真珠湾奇襲1941.12.8』(大日本絵画)など。


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