本能寺の裏口?【連載 第119回「城の搦め手」最終回】
外川淳の「城の搦め手」最終回
本能寺は、明智勢の襲撃を受けて全焼したのち、現在の地へ移転。近代になると、跡地は小学校として利用され、その一角には石碑が立つだけでした。
京都市街の人口構成の変化により、本能小学校が廃校となり、現在は石碑も北側に加えて西側にも建立されました。
信長ファンの聖地としての環境は、以前と比較すると、向上しつつあるようです。
『歴史人』7月号、では「本能寺の変〜信長殺しの動機と20の仮説」を担当した。
雑誌発売の前後に、関連話題を紹介すべきところ、遅れての紹介となりました。
最新『歴史人』10月号の「関ヶ原合戦の真実」では、合戦前夜〜東西軍の布陣〜終戦まで、ドキュメント形式で監修・執筆をした。
歴史ファンは、歴史雑誌を育てるという視点も、時には必要なのだと思います。
ひとつの歴史雑誌を育てるという意味においても、ご購入いただけたら、幸いです。
2017年の1月から開始したこの連載も、119回目の今回が最後になりました。
ご愛読いただいた方々に対し、感謝の言葉で締めさせていただきます。
ありがとうございました。
外川 淳