「ヴィーナスの誕生」ってすべて女性器のメタファーだったの?
【第4回】美女ジャケはかく語りき 1950年代のアメリカを象徴するヴィーナスたち
■フォトショがないこの時代は“合成職人”が技を駆使して行っていた
1950年代のムード・ミュージック界隈には、モデルの美女度だけでなく照明に凝った美女ジャケ、セットにお金をかけた美女ジャケ、ロケーションにこだわった美女ジャケなど、制作側の資金と熱情を感じるものがたくさんあった。
本連載の第3回目で取り上げた「夜の林で密会している」風なジャッキー・グリーソンの「Night Winds」などは、ロケーションも照明も凝りに凝って一級だった。だいたいが「夜の林のなか」という難しい設定で、ネグリジェの透け具合まで完璧にコントロールしているあたりは、もうプロ中のプロ。さすがCapitolレコードの制作部! と唸ってしまうのだ。
これが60年代以降のイージーリスニングの美女ジャケとなると、即物的に美女を撮っただけというのが増える。カメラに正面向いて微笑んでいるだけ、せいぜい金髪が風に揺らいでいるとかその程度の演出。イージーリスニングの巨匠、ポール・モーリアのアルバムなど、とくにそういうのが多かった。これは芸がないでしょ! と言っても通じない。時代の趨勢がそういう気分だったのだから。
なぜかと言うと50年代の物語性のある凝った演出は、ユース・カルチャーが台頭してシンプルなモダン・テイストが好まれるようになるにつれ、古臭く見えてしまった。ネグリジェ姿で身体をくねらせ品を保ちながらも、ライティングに凝って淫靡な風情が醸しだされる。なんていうのはもうまどろっこしくてウケなかった。
それは60年代のファッション・フォトがシンプルになったのと同じ心理だ。スウィンギン・ロンドン時代の花形フォトグラファー、デヴィッド・ベイリー(1967年の映画『欲望』の主人公のモデル)は、モノトーン写真を好んだし、スタジオでの照明はほとんど一灯で撮影した。50年代までに洗練と技巧の極みに達した照明は、シンプル・モダンの美学に簡単に乗り越えられてしまったのだ。
そんな時代になるちょっと前、ムード・ミュージックには「写真合成」の巧みなアルバム、というひとつのジャンルがあったように思う。
冒頭の1枚。ザ・サーフメンの「the sounds of Exotic island」は、ユリ科のスターゲーザーらしき花から生まれ出る黒髪の裸女だ。神秘的というか、なにやら不気味さも漂うが、バンブー書体をタイトルに用いているように、内容は当時流行のエキゾチック・サウンドだから、意味不明な神秘さもインパクトがあったのだ。花も背景の羊歯の葉とは別に撮影して合成している模様。
マーティン・デニーと並ぶエキゾ・ミュージックの立役者、アーサー・ライマンの「THE LEGEND OF Pele」は、溶岩のなかの金髪美女。ドロドロの溶岩流からいま生まれでるかのようにポーズを取った裸女というのがなんとも迫力だ。
タイトルにある「Pere(ペレ)」とは、ハワイに伝わる火山の女神のことで、溶岩流から生まれたわけではないが、この写真ならいかにもペレ出現の瞬間のようでイメージは強烈だ。
そしてどちらのアルバムも美女と背景の合成の仕方が秀逸だし、うまい!
当然のことだが、今のようにフォトショでサッと加工できる時代ではないから、写真合成は印刷所の製版技師が技を凝らした。美女の写真はスタジオで撮り、別に背景写真を用意し、それをデザイナーが印刷指示をして、製版技師はうまく馴染んだ合成写真をつくりだした。
60年代に入るとコラージュ技法が再流行したこともあって(最初は1910年代)、切り抜き合成が増えて、50年代の凝った合成手法は流行らなくなってしまった。これも冒頭に書いたモデル撮影の変化と同様のモダニズムの流れだった。
美女をモデルにした合成写真の技法は、50年代後半に洗練の極みに達する。ボビー・デューコフの「SAX IN SATIN」の透明感のある合成など出色の出来だ。サテンの布地とサックスと美女がすべて溶け合っている!
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