「ヴィーナスの誕生」ってすべて女性器のメタファーだったの?
【第4回】美女ジャケはかく語りき 1950年代のアメリカを象徴するヴィーナスたち
■クッキリ浮き立つ波濤の形は女性器そのものではないか!?
さて、これらの美女ジャケを見ていくと別のテーマにもたどり着くことに気づくのだ。生まれ出でる美女…立ちのぼる美女…
そう、これは「ヴィーナスの誕生」ということではないか!
このテーマで最も有名な絵は、15世紀のイタリア絵画の巨匠ボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」だろう。だが、貝から誕生する美女という同様のテーマは、古くは紀元2世紀には描かれていたという。それがルネサンスに復活したということなのだ。しかも古典時代からヴィーナスが乗る貝は、女性器の暗喩(メタファー)だったという。まあ、うがって見ればなんとくなく誰もがそう思うはず。
となると「the sounds of Exotic island」のなにやら淫靡な花も女性器、「THE LEGEND OF Pele」のドロドロ! の溶岩も女性器、「SAX IN SATIN」のサックスの「朝顔管」と呼ばれる部分も女性器、すべて女性器の暗喩だと思えてきてしまうのだ。
そこまではディレクターもデザイナーも考えてはいなかったただろうが、人間には「無意識」というものがある。なんとなく「こんな絵柄と美女を組み合わせたらインパクトがある」という、そのインパクトの根源は意想外の光景(花や溶岩)というだけでなく、見た側も無意識に感じ取る女性器の存在だったのかもしれない。
ボブ・トンプソンの「ON THE ROCKS」は、カクテルグラスのなかでポーズを取る水着女性。案外、簡単に思いつきそうな組み合わせだが、似たような合成写真のアルバムはほとんどない。これも「ヴィーナスの誕生」の一種だろう。海ではなくカクテル。まあ、男に都合のよいイメージではある。
ネルソン・リドルの「Sea of Dreams」は、水の上ではなく水中の裸女。となると、これは子宮の羊水のなかにいるイメージではないか! ヴィーナス誕生の、その手前の情景なのだ。いやはや、美女ジャケをひたすら「解読」していくとさまざまな仮説を立てることが可能で面白い。というよりもこういう解釈自体、業が深いというべきか。
ちなみにこのジャケは水中写真と美女写真を別撮りしたように思えるが、あまりにも自然な合成で、いわゆる「切り抜き合成」のようにはまったく見えない。それは前記したアルバムのどれにも言えることで、当時の製版技術の巧みさに唸らざるをえない。口紅が真っ赤なのも製版時につけたもの。
お気づきのように掲載した美女ジャケは限りなくヌードに近いが、絶妙に乳首までは判別できない写真だ。1950年代までのアメリカでの検閲はことのほか厳しく、乳首の露出などは犯罪覚悟の地下出版以外ありえなかった。「コムストック法」という出版物に関する検閲と「ヘイズ・コード」という映画に関する検閲が機能して、エロティックな表現はがんじがらめにされていたのだ。
拙著『美女ジャケの誘惑』に関して、もっと裸女のエロなものがあったはずだと、みうらじゅん氏の別の文脈の本を例を挙げる批評もあったが、これは1950年代当時の検閲事情を理解していない話だと思う。1960~70年代の日本のエロジャケとは規制も含めて別の世界なのだから。
ヴィーナス誕生とイメージがつながるのかどうか微妙だが、アート・ペッパーの「Surf Ride」は、サーフィンをする女性のイラスト。おお、この波間は女性器そのものではないか! と言ってしまっても、ここまで読んでくださった方は許してくれるかもしれない。
この下手なイラストの美女ジャケ(?)アルバムが、アート・ペッパー作品のなかでもとりわけ高値になっているというのは、世のジャズ好きの人たちがいかに美女ジャケものに飢えているかを表しているように思う。筆者としては、ジャズにこだわらずにムード・ミュージックにまで手を広げれば、もっと素晴らしい美女ジャケたくさんありますよ、と言いたいだけなのだが。
この「Surf Ride」は、60年代的なデザインに思えるかもしれないが、1956年の作品。アメリカの50年代とは、古典的な女性美からロマンティシズム、そして行動的なモダニズムまで包含してじつに幅広い。しかも、これが検閲が異常に厳しかった時代の産物だというのがまた面白い。
ところで、これらの作品をどうやって聴けるのか、って?
レコードの入手は難しくともSpotifyなどのサービスで案外聴ける。今回掲載作品のなかでは、ザ・サーフメン、アーサー・ライマン、ネルソン・リドルの3作品は音楽的にもオススメですので、ぜひ探してみてください。
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