「どうして私はツイッターに強く依存し、時に激怒していたのか?」【沼田和也】
『牧師、閉鎖病棟に入る。』著者・小さな教会の牧師の知恵 第9回
なぜ人を傷つけてはいけないのかがわからない少年。自傷行為がやめられない少年。いつも流し台の狭い縁に“止まっている”おじさん。50年以上入院しているおじさん。「うるさいから」と薬を投与されて眠る青年。泥のようなコーヒー。監視される中で浴びるシャワー。葛藤する看護師。向き合ってくれた主治医。「あなたはありのままでいいんですよ」と語ってきた牧師がありのまま生きられない人たちと過ごした閉鎖病棟での2ヶ月を綴った著書『牧師、閉鎖病棟に入る。』が話題の著者・沼田和也氏。沼田牧師がいる小さな教会にやってくる人たちはどんな悩みをもっているのだろう? じつは、沼田牧師には、以前にツイッターに強く依存していた時期があったという。そのときに顔の見えない相手に対して感じた怒りとは何だったのか? ソーシャルメディア時代だからこそ、いちどは立ち止まって考えてみたいコミュニケーションの本質とは?
拙著『牧師、閉鎖病棟に入る』のなかで、わたしは自分がツイッターに強く依存していたことを書いた。当時わたしは引っ越してきた土地に馴染むことができず、いつも「園長先生」と呼ばれるなか、名前を呼びあって気安く話せる友だちもいなかった。しかしツイッターであれば──わたしは実名アカウントを作っていたのだが──牧師でも園長でもなく「沼田さん」と呼んでくれる人たちと交流を持つことができた。それは安らぎであった。実名でアカウントを作ったのは教会を知ってもらう、つまり伝道をするためである。ようするに仕事用のアカウントだったわけだが、そこが唯一の安らぎの場になってしまうというのが、なんとも皮肉なことであった。
ツイッターを使うようになるまで、そもそもわたしは今までの実生活において、何百人もの人々と親しくなったことがなかった。今までの人生で友だちになった人を全員あわせても、せいぜい十数人ではないだろうかと思う。いや、よく遊びよく話した友人に限って言うならば、ほんの数人ではないか。それくらいの人数がわたしの人づきあいにおける、本来の許容量なのだと思う。しかしツイッターでは、友人という定義に当てはまるのかどうかはともかくとして、とにかく何百人もの人々と交流をしている「つもりにはなった」のである。
だがツイッターにおいては、相手の生い立ちも性格も、ましてや顔も本名も、わたしは知らない。なにも知らない中で、わたしはさして緊張感もなく言葉を発するわけである。その、なにげない一言が相手を怒らせることがあると気づくまでに、ずいぶんな時間を要した。相手もまた、わたしの実名は知っているかもしれないが、わたしの来歴や性格など知るすべもない。相手がわたしに特定して言ったのではない場合でも、わたしは自分への当てつけだと思い込み激怒することがあった。それは第三者から見れば馬鹿げたことであるし、病的とさえ見えるだろう。ツイッターにしか依存先がなくなったとき、ツイッターはわたしにとって逃避世界でもなんでもなく、現実そのものになった。だからそこで怒りを感じてしまうと、食事をしているときにも、トイレや風呂に入っているときにも、それを引きずってしまったのである。