なぜ八百万の神々は神無月に出雲に集まるのか
~10月の行事を学び直す~
■「季節行事」の意味と由来を知る・10月編
◆神がいなくなる10月
旧暦の10月のことを神無月(かんなづき)と呼ぶ。
文字通り「神がいない月」という意味だ。なぜいなくなるのかというと、出雲に行くからだ。
なぜ八百万(やおよろず)の神々は10月になると出雲へ旅立つのか。それが今回のテーマである。
10月になると神々は出雲に集まる。それゆえ、出雲では神在月(かみありづき)と呼ぶ。
呼び名が変わるだけではなく、神々を迎える祭もある。出雲大社の神在祭などだ。
出雲大社の祭は旧暦10月10日の神迎祭から始まる。神職たちが出雲大社に近い稲佐の浜にそろって、海の向こうからやってくる神々を迎えるのである。迎えられた神々は出雲大社の境内にある十九社に案内される。
宿舎に入った神々は、旧暦の11日から17日にかけて神議(かむはか)りという会議をするという。会議場は出雲大社ではなく、稲佐の浜に近い上の宮である。これに合わせて神在祭が11日・15日・17日に行われる。そして、17日に神々を送り出す神等去出祭(からさでさい)が行われ、神々は出雲大社の楼門から旅立っていく。
これで各地に帰るのかと思いきや、そうではない。松江の佐太神社や斐川町の万九千(まんくせん)神社などをめぐるとされている。出雲ではこのほかに朝山神社・神原神社・神魂(かもす)神社・売豆紀(めづき)神社・朝酌神社・多賀神社・日御碕神社などに神在祭の伝承が残されている。
余談であるが、すべての神が出雲に行くわけではない。留守番をしている神もいる。地域によって残る神の種類は異なるのだが、竈(かまど)の神などは留守番役といわれることが多い。
なお、10月に神々が出雲に集まるという信仰は、すでに平安後期の歌学書に触れられており、平安以前にさかのぼるものであることがわかっている。
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