世界最大の大艦巨砲が大海原へ~国家財政10% 「大和」「武蔵」の進水~
戦艦大和 リアル「アルキメデス」の証言 戦艦「大和」いまだ沈まず
◇建艦に疑念を持つ山本五十六
当時、航空本部長であった山本五十六少将が私のところへやってきて、
「どうも水を差すようですまんがね。君たち今は一生懸命やってるが、いずれ近いうちに失職するぜ。これからは海軍も空が大事で大艦巨砲は要らなくなると思う」
と肩に手を掛けて言われたこともあった。とどのつまりは山本少将の言う通りの結果になったのである。
しかし私はその時、技術者のプライドを持って昂然と少将に答えた。
「いや、そんなことはありません。私たちは絶対にとは言えないまでも、極めて沈みにくい船を造ってみせます。これだけの可能性を考えて設計しているのですから」
といって「蜂の巣甲板」の話もしてみた。
少将は、
「ウム、しかし……」
と言われたきり、だまってしまわれた。今思えば、素手で白刃の中に飛び込んだ大和の末路を見はるかして居られたのであろうか。
だが再三述べる如く、当時我々としては、「人事を尽くして天命を待つ」心境だったのである。すでに青写真は私たちの手を離れていた。サイは投げられたのだ。
昭和13(1938)年、呉海軍工廠と三菱長崎造船所とで、今まで見たこともない雲突くような大型クレーンがうなり始めた。まず龍骨が置かれて、次第に我々の頭に描いていたものが尨大な空間に形造られてゆくのだった。
とくに呉の場合はドック建造だから船体は隠れてしまうが、長崎造船所の場合は、船台で船が組み立てられたから、「そのままでは、御覧下さい」と言わんばかりである。それゆえ、ここでは船台を棕櫚縄(シュロナワ)で地上200フィートの高さまで蔽った。これに使用した縄の総延長は2700キロメートルというから、東京長崎間の往復距離の2倍である。九州全土の棕櫚縄を使ったと言われるのもあながち誇張ではない。
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『戦艦大和建造秘録 【完全復刻改訂版】』
原 勝洋 (著)
世界に誇るべき日本の最高傑作
戦艦「大和」の全貌が「設計図」から「轟沈」まで今、ここによみがえる! 「米国国立公文書館II」より入手した青焼き軍極秘文書、圧巻の350ページ! さらに1945年4月7日「沖縄特攻」戦闘時[未公開]写真収録!
2020年「大和」轟沈75周年記念。昭和の帝国海軍アルキメデスたちが見落とした想定外の[欠陥]を、令和を生きる読者自身の目で確かめよ! 物言わぬ図面とのみ取り組む技術者にも青春はある。
私の青春は、太平洋戦争の末期に、戦艦「大和」「武蔵」がその持てる力を発揮しないで、永遠に海の藻屑と消え去った時に、失われた。なぜなら、大和、武蔵こそ、私の生涯を賭した作品だったのである。(「大和」型戦艦の基本計画者・海軍技術中将 福田啓)
なぜ、時代の趨勢を読めずに戦艦「大和」は作られたのか?
なぜ、「大和」は活躍できなかったのか?
なぜ、「大和」は航空戦力を前に「無用の長物」扱いされたのか?
「大和」の魅力にとりつかれ、人生の大半を「大和」調査に費やした。編著者の原 勝洋氏が新たなデータを駆使し、こうした通俗的な「常識」で戦艦「大和」をとらえる思考パターンの「罠」から解き放つ。
それでも「大和」は世界一の巨大戦艦だった
その理由を「沖縄特攻」、米軍航空機の戦闘開始から轟沈までの「壮絶な2時間(12: 23〜14: 23)」の資料を新たに再検証。雷撃の箇所、数を新たなる「事実」として記載した。
「大和にかかわるのは止めろ、取り憑かれるぞ」
本書は、若かりし頃にそう言われた編著者が「人生をすり潰しながら」描いた戦艦「大和」の実像である。