幻想が現実に打ち勝った「東京五輪」【佐藤健志】
佐藤健志の「令和の真相」32
◆現実否認で始まった2020年五輪
前回の記事「『五輪よかった!』の爽快な」構造で、私はこのような意識の分裂を「爽快」という概念で説明しました。
自分の抱える矛盾がひどくなり、行き着くところまで行ってしまうと、人は矛盾が解消されたかのような錯覚をおぼえて、気持ち良くなるのです。
行き着くところまで行ってしまえば、矛盾がそれ以上に悪化することはありません。
ところが矛盾が解消されても、やはり矛盾が悪化することはなくなります。
ゆえに両者が混同される次第。
もっとも「爽快になる」とは、自分の矛盾を自覚できなくなることですから、現実にたいして適切に対処することは望みえない。
裏を返せば、「このままでは現実に適応できなくなる」という不安がブレーキをかける場合も多いのです。
ところが2020年東京五輪については、そうならなかった。
コロナ感染拡大という危機的状況を目の前にしているのに、どうしてなのでしょう。
じつは今回の五輪開催、「不快な現実を否認して、都合のいい幻想に逃げこむ」性格を最初から持っていたのです。
東日本大震災からの復興を謳いつつ、2013年9月に開催が決まったのが動かぬ証拠。
東日本大震災は2011年3月に発生したのですぞ。
わずか二年半で、復興が完了するはずがない。
十年たった今なお、完了したと言えるかどうかは疑問です。
つまり2020年東京五輪は、震災からの復興達成を記念してやることになったものではない。
実際には復興が達成されていないのに、「開催するころには復興も達成されているだろうから、いいじゃないか」という発想でやることになったものなのです。
ずばり、主観的願望に基づく皮算用。
これが1964年東京五輪との最大の違いです。
前回の五輪には戦災からの復興をアピールする意味合いがあったものの、開催の決まった1959年、復興は達成されていました。
敗戦の十四年後ですからね。
開催決定の三年前、1956年には「もはや戦後ではない」が流行語になりましたが、これにしても「復興需要が経済を牽引した時代が終わった」という意味だったのです。
ちなみにわが国は、1960年五輪についても東京招致を試みたものの、1955年6月のIOC総会であっさりローマに敗れました。
戦後の社会を安定させ、高度成長の基盤ともなった「55年体制」の成立が、同年11月のことだったのを思えば、なんとも象徴的な話。
「もはや戦後ではない」に達していない時点では、復興をアピールしようとしても通じなかったのです。