戦艦「大和」の何がスゴかったのか?
世界に誇る日本の最高傑作には、“3つの世界一”があった
②世界一の安定性 〜洋上に浮かぶ要塞〜
「大和型」の主砲の名称は、94式40センチ砲と称し、膅面直径46センチを軍機(国の最高機密)として秘匿した。九四式は、皇紀2594(昭和9=西暦1934)年に兵器として採用されたため、その下の桁の数字をとり40センチ砲と呼称したのである。皇紀とは、初代神武天皇が即位したとされる年を元年とした日本の紀年法だ。
なぜ「大和」に18・11インチ(46センチ)砲が搭載されたかの理由は、16インチ(40・6センチ)砲弾に比較して弾量で46%重く、射程2万メートルの落角で16インチ砲の17・3度に対し16・5度、弾速490m/秒に対し、522m/秒と弾道性に優れていることにあった。
対艦用弾丸の重量は1・46トン、名称は九一式徹甲弾、その着色弾を一式徹甲弾、対空弾は三式焼霰弾と称した。
前部6門、後部3門を同時に同一舷、同一方向に発射すると、約8000トンの反動力が生じる。そのため、船体その他の強度不足の部分があれば、湾曲し、破損する部分が生じる恐れがあった。
そのため船体の中心線の両側に約1m間隔で、前部と後部砲塔間にわたりバーチカルキール(竜骨)が平行に2列設けられていた。また、2列のバーチカルキールの頂上に、船体中心縦隔壁が設置されていた。
主砲を発射した際、砲口から伝播する強大な爆風圧力の強度は、ボートを破損させ、人間の被服を破り一時朦朧とさせる。甲板開孔部は、この圧力侵入の少ない箇所にまとめ、かつ丈夫に造られた。その結果、露天甲板は大変にすっきり、広々とした。
KEYWORDS:
原勝洋(著)
なぜ、「大和」は活躍できなかったのか?
なぜ、「大和」は航空戦力を前に「無用の長物」だったのか?
「大和」の魅力にとりつかれ、人生の大半を「大和」調査に費やした編著者の原 勝洋氏が新たなデータを駆使し、こうした通俗的な「常識」で戦艦「大和」をとらえる思考パターンの「罠」から解放する。
2020年、「大和」轟沈75周年
世界に誇るべき日本の最高傑作、戦艦「大和」の全貌が「設計図」から「轟沈」まで、今ここによみがえる!「米国国立公文書館Ⅱ」より入手した青焼き軍極秘文書、圧巻の350ページ。さらに1945年4月7日「沖縄特攻」戦闘時[未公開]写真収録
【目 次】
[第1章] 米海軍情報部と巨艦「大和」の謎
[第2章] 戦艦大和・建造の記録
[第3章] 戦艦大和の障害
【大型折込付録】
大和船体被害状況図(比島沖海戦時)
大和・復元図面 ①一般配置図 ②船体線図/中央切断図/防御要領図