視姦され、批評され、選ばれるミス・美女ジャケットコンテスト
【第7回】美女ジャケはかく語りき 1950年代のアメリカを象徴するヴィーナスたち
■美女をたくさん載せるのはミスコン同様の視姦的まなざしを狙ってのこと?
この連載の第5回目、モデルを使い回す話で複数モデルを使った美女ジャケを数枚、紹介したが、やはり美女ジャケの王道はたったひとりの美女を使ったジャケットだ。ひとりの顔のほうが訴求力は強いし求心性もある。
いやいや、それだけではない。そこに写っている女性が最上の美女であり「このレコードを買えば、あなたはこんな美女を音楽といっしょにモノにできてしまうんですよ」というサブリミナルなメッセージも織り込まれているのだ。
だから音楽は二の次にして、極上の美女をモデルにジャケのデザインも洒落ていれば、筆者のような人間は躊躇せず買いたくなる。あとは財布との相談だけだ。
買いまくっていた2000年頃でも自分なりのディシプリンはあった。まず、3800円以内であること。なぜこの金額なのかは、はっきりしないが、音楽二の次でジャケ買いする上限の「価値」がこの程度、という意識はあった。
お金を積めばなんでも入手できてしまう、というのはコレクター道として面白みがないのだ。ちょっと高いかなぁ? と思ってレコ屋でレジに持っていくかどうか悩んだものは、レコードを出すたびにその光景がよみがえってくる。
思い出深いとはこういうことだ。恋愛と同じで逡巡したこと自体がとても印象深い思い出になる。だってひとりの美女をお持ち帰りするのだから……。
もうひとつ、ピンとこないモデルには手を出さない。とはいっても案外難しい。手ぶらで帰るのが寂しいときは、つい二流っぽいものでも買ったりしてしまうものだ。これは酔ったあと、そのまま帰るのが惜しく場末のキャバクラに入ってしまい、あとで後悔するのに似ている。
そういうちょっと残念な美女は、いくらレコードを聴き込んでもダメで、ほぼヤフオクで手放してしまった。だから拙著『美女ジャケの誘惑』には、二流美女ジャケはほとんど登場しないのだ。数より質です。
そう、ものごとは数より質と思っているのだが、数がものをいう美女ジャケもある。多人数美女! 冒頭に紹介したマイク・シンプソン・オーケストラのモダンなジャケは、実際にはひとりのモデルだが裏表の両面で6つのポーズ。衣装は3セットとなかなか多人数的で魅力的だ。
だいたいタイトルが「discussion in percussion」。「cussion」の語源は「叩く」という意味。だからパーカッションは「強く叩く」ということだ。ディスカッションは「徹底的に叩く」が語源だが、これが「議論をぶつけあう」ことを意味するようになった。
で、ディスカッションはひとりでは成り立たないから、このジャケが複数モデル風なのは、ちゃんとタイトルの意味するところを汲んだ素晴らしいアート・ディレクションなのである。