ジャニーズを参考にしたK‒POP業界 ~韓国の芸能業界が独自の進化を遂げる過程を探る~
〝韓流〞が日本デビューを目指す理由~日本の芸能事務所を真似したK–POP~
■ジャニーズを参考にしたK‒POP
1977年には、韓国でも新しいタレントを生み出す、テレビ番組がスタートした。それが韓国地上波テレビ局MBSが主催した「MBS大学歌謡祭」である。
この番組がたちまち若者の支持を得るようになり、国民的イベントとして大衆社会に受け入れられていった。
この番組で大賞を受賞すれば、その年を代表するヒット曲となる。同番組は大勢のスター歌手や人気バンドを輩出していった。
この一連の流れは、日本の芸能界の新しいトレンドを真似たものだが、目新しい傾向を持ったアマチュアの若者が、若いリスナーに受け入れられるようになった。
それにともなって、芸能事務所も組織的に動くようになり、エンターテイメント産業として巨額な利益を上げる企業に成長していったのである。
次々に登場してくる若いアーティストたちの中から、自らが作詞・作曲して売り込みをかけるセルフプロデュースで成功するケースも出てくるようになった。彼らは芸能事務所を脱した、新しいタイプの業界を創成するイノベーションを打ち建てたと言えるだろう。
これまで古いタイプの歌謡曲しかなかった韓国音楽芸能界では、個人芸能事務所が放送局などを回って仕事をとってくるのが普通の状態であった。しかし、セルフプロデュースとなると、企画から楽曲の制作まで歌手及び事務所が行わなければならなくなる。つまり楽曲自体が個性を持つパフォーマンスとなり、それを総合的にプロデュースする新しいイノベーションが必要とされたのである。
このノウハウを日本のジャニーズ事務者などからつぶさに研究し、韓国流にアレンジメントして実際のビジネスとして作り上げることに成功したのがSMエンタテインメントなどの新しいシステムを持った総合芸能プロダクションであった。SMエンタテインメントの創設者であるイ・スマンなどは、日本独特のアイドルシステムや企画などを徹底的に研究し、ジャニーズの影響を受けたことは広く知られている。
このスタイルが若者に人気となり、ビジネスとしても新しいマーケットの開拓につながったのである。
その結果、SMエンタテインメントでは、日本のジャニーズなどのアイドルをプロデュースする方法を韓国に輸入し、ダンスや演出などをアジア人の体型に合わせたパフォーマンス方法とアメリカンポップスを融合させた。要はアメリカ人的な雰囲気をフィーチャーしたアジア人独特のパフォーマンスをアメリカンポップス調の楽曲とコラボさせ、新しさを演出したことがK–POPが世界で認知される要因になったのである。
この方法は、韓国内で音楽業界の基本戦略となったが、一定水準以上の発展をした後には、この手法には先がないと見越し、2000年以降は北米をターゲットとした事業展開を企画するようになったという。
業界が発展し、ビッグビジネスとして成功するにはやはり韓国内の市場は狭すぎたのだ。
ジャニーズのタレントを中心とする日本のアイドルはロックミュージックを基調とする楽曲が主流だが、韓国の三大芸能事務所は特徴があり、YGとJYPでは黒人系アメリカンポップス、SMがユーロポップ系だとされている。
世界的な展開を企画するには、このような幅広い音楽性が、K–POP全体として有利に働いたと思われる。
日本のアイドル界はその市場の豊かさから、主に国内展開を中心にしてビジネスを成立させているが、先細り感はぬぐえないだろう。その意味では将来的には韓国のビジネスモデルを日本も取り入れるべきだろうと私は思っている。
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『韓流アイドルの深い闇』
金山 勲 (著)
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