メンタリストDaiGOを批判する人たちの「無意識の差別意識」【仲正昌樹】 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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メンタリストDaiGOを批判する人たちの「無意識の差別意識」【仲正昌樹】

■自分の差別意識や身勝手さを、無理やり美化・正当化する人たち

 

 人種主義や素朴な進化論による野蛮な優生思想は、現在では法的に否定され、かなり衰退している。その一方、生殖関係医療や遺伝子研究の発展で、出生前診断に基づいて堕胎することが可能になったし、優秀な遺伝子を持った子供を残すための精子バンクも運用されている。その内に、遺伝子操作も可能になるかもしれない。このように最先端の技術によって、親になる個人の選択によって、遺伝子レベルの選別を行うことを、新優生学と呼ぶことがある。

 DaiGo氏の発言は差別的ではあるが、こうした本来の「優生思想」とは程遠い。彼の発言を優生思想だと言っている人たちは、暗に、「人間は本来他者に対して優しい存在であり、ホームレスなんか生きようが死のうがどうでもいい、なんて思うはずがない」、という前提で考えているのかもしれないが、本気でそう思っているとしたら、とんでもない幻想である。もし自分には差別意識はない、気の毒な人を見捨てるなどとんでもない、と思っているとしたら、そういう人間の方がDaiGo氏より遥かに危険である。

 ほとんどの人間は何かしら、分かりやすい理由を見つけて、自分は他人よりすぐれていると思いたがっているし、自分や身内がよければ、他人のことは二の次三の次にしている。

 差別意識のない人間が、DaiGo氏が実はコンプレックスの塊だと主張するネット記事にむらがるはずはない。他人のことを二の次三の次にしているのでない限り、住む所もなく、まともに食事もできない人が現にいると分かっていながら、ネットで遊び半分の書き込みをしたりできるはずはない。自分の差別意識や身勝手さを、無理やり美化・正当化しようとするから、「優生思想」のような歪なものが生まれてくるのである。

 単なる差別発言を、「優生思想」呼ばわりしていたら、どのようにして「優生思想」が発展するのか、それがどのようにケインズやビヴァリッジのような善意の進歩的知識人を魅了していったのか、といった肝心なことが見えなくなる。

 

■差別者を糾弾している人に見られる根深い問題とは?

 

 更に言えば、「差別意識」を持つのは、その方面の知識がないからだ、と考えるのは啓蒙的知識人やその種の人たちに感化されたフォロワーの傲慢である。学校の教師や学者は、本に書いてあることを教えるのが商売なので、問題発言をしている人を批判する際に、彼は間違った思想のテクストに影響されているとか、人権に関する基本的な文献や法令をちゃんと勉強していない、と言いがちである。そういうことにしておくと、自分の普段の商売の延長で批判コメントを書きやすい。

 人間はいろんなきっかけで、特定の類型の人に敵対心や差別意識を抱く。無礼な態度の韓国人とか、横着な中国人、KYなベトナム人などに出会うと、韓国人全て、中国人全て、ベトナム人全てがそうだと思いたくなる。自分が受けた的印象を根拠付けたいとか、同じような経験を他人と共有したいといった欲求から、一般化してしまうのだろう。国籍、人種、年齢、性別、職業は分かりやすいので、一般化する際の参照点になりやすい。

 そういう思いになるのは仕方ないことだが、それを他人の前で公言していると、本当にそうだという確信に変わっていくし、引っ込みがつかなくなる。知識人・文化人として有名な人は、特にそうだ。私はPC(ポリティカル・コレクトネス)関係ではそんなに神経質な方ではないが、大勢の前で口頭で話をする時は、いやな奴に会った時のエピソードを、特定のカテゴリーの人に対する蔑視へと一般化しないように多少の注意はしている。

 問題になったDaiGo氏のYouTubeの番組は、《【超激辛】科学的にバッサリ斬られたい人のための質疑応答 》というもので、文字通りの辛口トークで、しかも、かなり早口で淀みない感じでしゃべっている。立て板に水のような感じでしゃべらないと、頭の回転の速さを見せられないし、フォロワーは、レスの速さに魅せられるのだろう。ただ、あの速度で辛口なのは危険だと感じる。日常的に感じているちょっとした偏見による軽いコメントが、へんな方向に発展してしまう恐れがある。慎重にしゃべるようになったら、DaiGoではないのだろうが、自分のトークを制御できないようでは、プロの“メンタリスト”とは言えないだろう。

 もう一度言っておく。差別意識を持っていることが問題なのではない。それを正当化・一般化して、「思想」に仕立て上げること、そして差別者を糾弾している自分には差別意識がないかのように思ってしまうことが問題なのである。

 

文:仲正昌樹

 

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仲正 昌樹

なかまさ まさき

1963年、広島県生まれ。東京大学総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程修了(学術博士)。現在、金沢大学法学類教授。専門は、法哲学、政治思想史、ドイツ文学。古典を最も分かりやすく読み解くことで定評がある。また、近年は『Pure Nation』(あごうさとし構成・演出)でドラマトゥルクを担当し、自ら役者を演じるなど、現代思想の芸術への応用の試みにも関わっている。最近の主な著書に、『現代哲学の最前線』『悪と全体主義——ハンナ・アーレントから考える』(NHK出版新書)、『ヘーゲルを超えるヘーゲル』『ハイデガー哲学入門——『存在と時間』を読む』(講談社現代新書)、『現代思想の名著30』(ちくま新書)、『マルクス入門講義』『ドゥルーズ+ガタリ〈アンチ・オイディプス〉入門講義』『ハンナ・アーレント「人間の条件」入門講義』(作品社)、『思想家ドラッカーを読む——リベラルと保守のあいだで』(NTT出版)ほか多数。

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