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大阪城天守閣『豊臣外交』展

季節と時節でつづる戦国おりおり第404回

 大阪城天守閣の秋期特別展「豊臣外交」も11月17日で終了してしまいましたが、レポだけあげておきましょう。

 豊臣秀吉の時代は南蛮文物の受容やキリスト教禁止、朝鮮への出兵など外国との間で公人・私人にかかわらずさまざまな交渉がおこなわれました。

 今回の展示も、中に入って見ると外国人だらけなのは、展示の趣旨が良く理解されていると言うことなのでしょうか(笑)。

 こちらは図録。展示でも図録でも最初に紹介されているのは「世界図・日本図扇面」。表裏に世界図と日本図が描かれた扇の面を骨から外して表具したものですが、その日本図には摂津国とおぼしき当たりに「大カウ」とあり、大坂城を本拠として天下統一に臨んだ豊臣秀吉の領地と分かるようになっています。

 面白いのは、秀吉が甥の秀次に関白食を譲って「太閤」になったのは天正18年(1590)の末。それに対してこの扇面図には丹波国に「織田」という書き込みもあります。これは織田信長の四男で秀吉の養子となり、丹波亀山城を与えられた羽柴「於次」秀勝のことですから、天正10年(1582)から彼が死去する天正13年(1585)12月10日までの情報と、天正18年の情報が入り混じっているということなんです。

 そういえば、安芸国あたりには「小早川」の書き込みもありますが、こちらも小早川隆景は天正14年(1586)に筑前・筑後2ヶ国に加増転封されていますから、異なる時間軸が混在する日本図になってしまっています。誰がどういう経緯でどんな情報を元にこの大名配置を描いたのか、想像はいろいろ広げられそうですね。

 天守閣の南東では、以前発掘調査をおこなっていた場所に豊臣時代の石垣遺構を公開する施設の建設工事が始まっていました。まだ基礎部分の作業のようですが、いつ頃の完成を目指しているのか、ネットでは見つけられませんでした。

 埋もれていた石垣を、地下に降りて実際に眺められる機会はなかなか無いですから、早く竣工して公開していただきたいものです。

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橋場 日月

はしば あきら

はしば・あきら/大阪府出身。古文書などの史料を駆使した独自のアプローチで、新たな史観を浮き彫りにする研究家兼作家。主な著作に『新説桶狭間合戦』(学研)、『地形で読み解く「真田三代」最強の秘密』(朝日新書)、『大判ビジュアル図解 大迫力!写真と絵でわかる日本史』(西東社)など。


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