幕末の日本を訪れた外国人は混浴が好き? 嫌い?
外国人がみた驚きのニッポン!
そこで今回は歴史のなかの日本、幕末にやってきた外国人の驚きの声をお伝えします。
「日本人は、家の中でも路上でも、ほとんど裸で暮らす習慣を持っていて、誰ひとりそれがデリカシーにかける行為だとは考えない」
(ハインリッヒ・シュリーマン著、石井和子訳『シュリーマン旅行記 清国・日本』講談社学術文庫)
日本人が裸体に対して抵抗感がないということは、幕末に来た外国人が等しく指摘しているというのは、『世界一受けたい授業』(日本テレビ系)のスペシャル講師としてもおなじみの河合敦先生。
著書の『外国人がみた日本史』のなかでこんなふうに語っています。
とくに彼らにとって驚きだったのは、銭湯における混浴です。
たとえばアメリカの総領事タウンゼント・ハリスは、「労働者階級は全部、男女、老若とも同じ浴室にはいり、全裸になって身体を洗う。私は、何事にも間違いのない国民が、性の貞操を危うくするものと考えられないことは確かである。むしろ反対に、この露出こそ、神秘と困難とによって募る慾情の力を弱めるものであると、彼らは主張している」(坂田精一訳『ハリス 日本滞在記 中』岩波文庫)と述べ、混浴を批判し、その羞恥心のなかにあきれています。
キリスト教的な倫理観を持つヨーロッパ人にとっては、裸体に対する羞恥心が薄いという事実は、そのままその国の野蛮さと直結しました。もちろん、江戸幕府としても混浴は風俗上好ましい状態ではないことは認識しており、何度も混浴を禁止する法令は出してきた。だが、ほとぼりがさめると、また元に戻ってしまうのです。
混浴は素朴さのあらわれ!?
しかし、近代国家として明治政府が成立すると、欧米に文明国として認識してもらうため、同様に混浴禁止令や裸体禁止令をだし、異性に対していや人前で裸を見せる行為を厳しく取り締まるようになったのです。犯罪行為として処罰の対象になったことや、文明開化によって欧米の思想が浸透したこともあり、ようやく明治の中期になると、女性については公然と裸で路上に出ることはなくなっていったのです。
そんな多くのヨーロッパ人が日本人の裸体に眉を潜めるのに対して、全く別の感想を持ったのはシュリーマン。
「老若男女が、いっしょに湯をつかっている。彼らはそれぞれの手桶で湯を汲み、ていねいに体を洗い、また着物を身につけて出て行く。なんという「清らかな素朴さだろう!」…(略)…彼らは衣服を身につけないことに何の羞じらいも感じていない。…(略)…幼いころからこうした浴場に通うことが習慣になっている人々にとって、男女混浴は恥ずかしいことでも、いけないことでもないのである」(ハインリヒ…シュリーマン著、石井和子訳『シュリーマン旅行記 清国・日本』講談社学術文庫)と理解を示さず、それが当たり前になっている中で「淫らな意識が生まれようがない」と断言しているのです。
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なるほど、そうでしたか。個人的にはシュリーマンのいっていることに深く共感したいものですが…もちろん淫らな意識はあるんですけどね。