都内で営業マンをしていた私が茨城で狩女子になったらどうだった!?
【第15回】都内の美人営業マンが会社を辞めて茨城の奥地で狩女子になった件
【田舎暮らしに憧れて……茨城に来て1年半】
皆さんこんにちは! 茨城県でヨガのインストラクターの傍ら、新米猟師をしているNozomiです! 前回はナイフについて、銃刀法などの法律について綴らせていただきましたが、今回は新たな年の始まりのタイミングですので、2019年を振り返りながら私の想いや心境などを綴らせて頂こうと思います。私の拙い文章を通して、少しでも“狩猟”に興味のある方、すでに“狩猟”に携わっている方、そして何より“いのち”と向き合っている方のお役に立てれば幸いです。
10年以上住んだ東京での仕事を辞めて茨城県へ引っ越し、約1年半の年月が経ちました。当時の私はまさか、私が1年半後に茨城県の猟師になっているなんて思ってもいません。今思えば、茨城での仕事のあても無く、田舎暮らしに憧れて、畑を継いで農業をする為に勢いでここに来たようなものでした。茨城県に来たことは、私にとってはおそらく人生が変わる大きな分岐点だったと思いますが、意外とこういう大きな決断はノリと勢いが背中を押してくれるのかもしれませんね(*'▽')
移住前。生活や収入についての不安が無かったと言えばウソになります。営業時代に貯めたわずかな貯金は有意義に無駄なく使わなければいけません(汗)。何回も東京と茨城を往復しながら、移住先の補助金を調べたり、引っ越し会社もなるべく安いところにお願いしたりと奔走していました。並行して、ヨガ教室を開業するための準備や勉強も少しずつ、時間をかけて進めていました。フリマアプリを駆使して営業時代に無駄買いしたものを売り払い、新生活で必要なものなどは無料掲示板『ジモティー』などもチェックしていました。
春先は、一生懸命畑を耕しました。種や苗について、土の状態や肥料について、覚えなければいけないことがたくさんです。本やネットで勉強しましたが、時たま、畑の師匠である祖母の言っている事と本やネットで勉強したことが食い違っていて戸惑いましたね……! 時には頑固な祖母とケンカもしました。苗をポットに植えたら毎日水やりをして、収穫時期をずらすため日光を計算しながら場所を動かしたり、虫を退治したり、苗が病気にかかればウンウン悩み、隣の畑のおじぃちゃんに教えを乞いに行ったり……未経験ながらも、愛情込めて真剣に畑に向き合いました。気が付けば春は深まり道端につくしが出てくる季節に。つくしを間近で見て、東京とは違った春の到来に癒され、その後、つくしが食えると聞いて大きな籠いっぱいにつくしを積みにいきました。つくしパーティーの開催です!(調理方法が間違っていたのか、その時のつくしは激にがでした……!)
夏はもう、雑草との戦いでしたね……! 毎日朝4時に起きて仕事の前に雑草を抜きました。東京に住んでいた時は夜更かしをして「やばい!もう朝だ!」と罪悪感を感じながら見ていた朝日ですが、朝もやの中静かに現れるそれは、同じものと思えない程とても美しかったです。梅雨が明けて、雨が降らない日が続けば軽トラにそこらじゅうのバケツや桶を積んで水を汲み、畑に撒きました。愛しい愛しい苗たちは1日でぐんぐん伸びて、支柱を大きいものに交換するのも大変です。だけど自分で汗水たらして作ったキュウリやトマト、ナスの美味しさと言ったら……!!!( ;∀;) スイカやピーマン、シシトウ、ゴーヤ、オクラ……夏は本当にたくさんのお野菜たちをたらふく食べました。
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