象徴となったふたりの物語~「全国初出場」をつかみ取るまでの軌跡~
小松市立高等学校吹奏楽部の大きなピンチ
実は最多得票はコムギだった。しかし、コムギには部長をやりたくない理由があった。
コムギは中学2年のときに全日本吹奏楽コンクール・中学校の部に出場している。しかし、自分が部長で迎えた中3の年には全国大会出場を逃し、責任感に苛まれた。その苦い記憶は小松市立に来ても消えることはなかった。
みんなからは「明るく、元気なタイプ」と思われているが、内面はネガティブ。小松市立でも率先して「今年こそ全国大会に行くよ!」と言いながら、誰よりも「もしかしたら、やっぱ全国は行けないかも。行けなかったらどうしよ……」とクヨクヨ考えていた。その根っこにあるのが中3のときの経験だった。
「もう部長はできん……」
そう思ったコムギは安嶋先生に自分の気持ちを伝え、木管パートのリーダーである木管トレーナーになった。
そして、コムギの代わりに部長に選出されたのがマユだった。
マユは中学時代にコムギのように強豪中学校にいたわけではなかったが、ユーフォニアムの腕前は抜群で、高1から先輩を追い抜いてトップ奏者を任されるほどだった。
2019年の小松市立の自由曲はベルト・アッペルモント作曲の《ブリュッセル・レクイエム》。安嶋先生がこの曲を選んだのは、マユというエースプレイヤーの存在も大きかった。曲の中盤にユーフォニアムの印象的なソリやデュエット、終盤には猛烈な速さのパッセージといった見せ場があるためだ。
部長就任を打診されたマユはこう即答した。
「私は吹奏楽をやるためにここへ来たので、部長をやらせてもらいます!」
何事も妥協しないで全力でやるのがマユのモットーだった。だから、部長という難しい役割も全力でやろうと思った。
コムギもマユを「笑顔が素敵で、プレイヤーとしても尊敬できる人」と信頼していた。
ところが、新年度を迎える前に、早くも部内に亀裂が走ったのだった。
続きは近日公開。
- 1
- 2
KEYWORDS:
『新・吹部ノート 私たちの負けられない想い』
オザワ部長 (著)
「吹奏楽の甲子園」と呼ばれる全日本吹奏楽コンクールをめざす、ひたむきな高校生の青春を追いかけたノンフィクション・ドキュメント第4弾。 今回、実力があるのにコンクールでは涙を飲んできた、そういう高校(吹奏楽部)を前面に押していきます。常連校のようなある意味“でき上がった"子たちではなく、実力はあるのにまだ出し切れていない、その分、どうしてもコンクールに出場したいという闘志がむきだしの熱い想い、狂おしいほどの悩み、そして大きな壁を乗り越えてゆく姿を魅せていきます。 【掲載校】 〇磐城高校(東北) 〇明誠学院高校(中国) 〇伊奈学園総合高校(関東) 〇活水高校(九州) 〇小松市立高校(北陸) 〇八王子高校(関東) 〇東海大仰星高校(関西)