要介護4! 認知症の父、特別養護老人ホームにいよいよ入所【実録:母と娘の「介護日記」】
母と子はこうしてだんだん疲弊する①
●「こんなところにいたくない!」と父、怒り爆発!
3月29日(木)
昨日は肺炎球菌ワクチンを接種したまあちゃん。今日もホームへ行ったネーヤから電話。バスが平気で30分~40分遅れる、と文句たらたら。
そして、まあちゃんの部屋に入った瞬間に「なにやってんだ、バカヤロー!」と怒鳴られたらしい。なぜ自分がここにいるのか、わけがわからず怒り心頭のまあちゃん。
「こんなところにいたくない!」と怒りまくり。
午後には落ち着いたらしく、にっこりと笑っていたようで。
「今度はいつ来るんだ?」「潮はいつ来るんだ?」と聞かれたらしい。とりあえず行けるときに行くしかない。
3月30日(金)
地震があったので、ネーヤに電話。ネーヤは地震も台風も怖いという人だ。
神経が図太そうに見えて、案外びびりの怖がり。今日も明日もホームには行かないそうだ。「私もやることいっぱいあるから!」とな。
「お父さんがかわいそう病」はひとまず治まっている。
3月31日(土)
昼過ぎ、まあちゃんは食堂で親子丼を食べていた。私も一緒に持参したおにぎりを食べる。
一緒に食べたほうが楽しいかなと思って。まあちゃんが「今日、コケちゃったんだよ」と話す。
その会話を聞いていたスタッフさんが慌てて私に声をかけてきた。「午前中にひとりでトイレに行こうとして転倒されて……夜もポータブルではないトイレに行こうとすることがあるんです」とのこと。
入所6日目ですでに転倒とは。配慮が足りない! ホームの忙しさをまだわかっていない私は、つい小姑目線に。が、スタッフさんから言われた。
「あの、できれば、ご家族の方はご飯を別の場所で食べていただいたほうが。何か違うモノを食べているのを見ると、欲しがってしまう方もいるので……」
嗚呼、配慮が足りなかったのは私だった! ごめんなさい!
夜はロビーのほうへ行って、ひとりでもそもそと飯を食う。決しておいしくない。
新聞を4日分持っていく。開くものの、たぶん読んではいない。『東京新聞』に毎日掲載されているのが、コラム「筆洗」。筆洗専用のノート(コラムを切り抜いて貼り、書き写すというノート)を数冊購入したので、ぜひ実践してもらおうと思った。
しかし、まずハサミをうまく使えない。コラム全部を書き写すなんてことも当然できず。とりあえず切り貼りと日付だけを書いてもらおうと思ったが、今が平成何年何月何日かわからないようだ。「平成30(2018)年29」と書いていた。
昨日、まあちゃんは、下剤を飲んだらしい。
おなかはぱんぱんに膨れている。ポータブルトイレで排便。中には数回分の糞尿が入ったまま。部屋の中が匂う。長くいたくない、と思った。
今日は会話も弾んだ。横浜のおばさん(まあちゃんの叔母)の話をしたら、「そろそろ横浜行かないとな。お前も行くか? 帰りは中華街でメシくうか」「うんうん、そうだね。聘珍楼(へいちんろう)に行こうね」「いやいや萬珍楼(まんちんろう)だよ」と返す。ちゃんと記憶はあるらしい。
「そうだね、みんなで車で行こう」と言うと、
「電車で行くんだよ!」と言う。
自分が76歳と思っていない。「え、俺そんな年か?」と聞いてきた。来週で77歳、喜寿だよ!
ネーヤについて「最近サボりぎみなんだよな」と言う。まあちゃんの頭の中ではどうやら入院している設定のようだ。歩けるようになったら家に帰ろうという話にした。嘘だけど。認知症の人には優しい嘘がいい。どうせすぐ忘れてしまうのだから。
(『親の介護をしないとダメですか?』より構成)
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