【轟沈75年】実戦で浮かび上がる盲点、日々悪化する戦局…戦艦「大和」に次々と襲い掛かる誤算
戦艦「大和」の生涯~構想から終焉まで~④
◼️米潜水艦の魚雷わずか1本で主砲戦闘力の3分の1を喪失
1943(昭和18)年12月25日、「大和」は自慢の防御装甲鈑を取り付けた水中防御システムに、設計上の思わぬ盲点があったことを思い知らされる。
同日0440米潜水艦「スケート」は、北緯10度13分、東経150度27分、距離27,500ヤード(約25,000メートル)に目標を探知した。同艦は明け方の魚雷攻撃に都合の良い位置につくため、針路を270度に変針し、目標を左に引き寄せようと試みた。
6分後「スケート」は、距離23,000ヤード(約21,000メートル)まで目標に接近した時、日本側のレーダーに探知されないよう潜航した。スクリュー音から3隻の目標を捉えていた。あたりは非常に暗く、はっきりと相手を確認出来なかったが、20,000トン級の大型艦と2隻の駆逐艦であると思われた。
「スケート」は前部魚雷発射管による攻撃を企図したが、ソナーによる探知では、目標が左方向へのジグザク運動中であることを示していた。それは同艦の艦尾を通過することを意味する。
狙いの方向は良好だったが、距離と方位角は疑わしかった。「スケート」は艦尾の魚雷発射管を準備し、距離約2,200ヤード(約2,000メートル)、右90度方向に照準を定めた。
同艦は0518、目標の大型艦に対し
●針路145度
●速力19ノット
●距離2,400ヤード(2,190メートル)
と判断した。
「スケート」がレーダー探知した20,000トン級大型艦は、実際には満載排水量72,809トンの巨大戦艦「大和」だった。「大和」は、陸軍独立混成第一連隊主力の輸送任務で横須賀から6日間の航海をし、トラック島北方に差しかかったところである。第10戦隊第10駆逐隊の「秋雲」と第17駆逐隊の「谷風」「山雲」の駆逐艦3隻が、その護衛任務についていた。
0518「スケート」は、後部発射管から4本の魚雷を推定速力19ノットの目標に向けて発射した。魚雷発射時の状態は、自速3ノット、針路240度、潜航深度64フィート(19.5メートル)、潜望鏡は降ろしたままだった。
「スケート」のソナーは、Mk14-3A魚雷4本が雷速46ノット、調定深度10フィート(約3メートル)で目標の「大和」に向かって8秒間隔で駛走して行くのを追尾している。およそ2分後、こもった爆発音に続き確実な爆発があった。「スケート」は3分後に爆雷6発の攻撃を受けたが、至近距離で爆発したものはなかった。
「大和」は突然「ズシン」と右舷に横揺れの衝撃を受けた。「配置に付け」のブザーが鳴り響き、総員が戦闘配置に付いた。しかし、本艦は何事もなかったかのようにトラック島に入港したのである。
「大和」に人員の損害はなかった。だが本艦は1本の魚雷の命中で水防縦壁に穴が開き、第三砲塔の火薬庫が浸水して使用不能となったのである。大艦巨砲の象徴「大和」は、一瞬にして主砲戦闘力の3分の1を失った。
原因は、舷側防御の弾性体である甲鈑が、水線下約4メートルで魚雷の直撃を受け、爆発の衝撃で10メートルの範囲が瞬間的に約1メートル程も艦内に押し込まれ、そのまま元の位置に復帰した点にある。表面上は何んの異状もないように見えたが、甲鈑を棚状に支えていた背材のリベットがすべて切断され、縦壁の骨材取付けブラケットの爪先が第三砲塔火薬庫側壁に、10数個の穴を開けたのである。この穴を通して海水が火薬庫を水浸しにした。
トラック島には優れた能力の第四工作部と工作艦「明石」が在泊していた。損傷部を調査の結果、十分防御されていたはずの火薬庫内と後部機械室に約3,000トン浸水したことが判明した。
前記の工作能力をもってしても、トラック島での修理は不可能だった。
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2020年、「大和」轟沈75周年
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【大型折込付録】
大和船体被害状況図(比島沖海戦時)
大和・復元図面 ①一般配置図 ②船体線図/中央切断図/防御要領図