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【伊東四朗さん特別インタビュー②】「人生100年時代」をどう生きる!? 人生を愉しむ秘訣を伝授

多岐にわたり、いまだ一線で活躍する伊東四朗さん 「人生100年時代」の今をどう過ごしているのか。

「人間五十年」とうたわれたのも遥か昔。令和のいまは、50歳からが折り返しの「人生100年時代」である。いまだ現役で元気に活躍している“人生の先達”は、どのような心持ちでいるのだろうか、率直に訊いいてみた。
 電線音頭、ニン!、おしんの父ちゃんに、伊東家の食卓、伊東四朗一座…。伊東四朗さんの芸能人生はもう60年も続いている。多岐にわたり、いまだ一線で活躍する伊東さんは、「人生100年時代」の今をどう過ごしているのか。(『一個人 2020年2月号』より抜粋)

■ 人との出会い、縁は本当に大事 色んな人に会えたことが財産

――自身の性格を保守的で、「人の先頭に立って何かをするタイプではない」と言う伊東さんに2004年、67歳の時、一座の座長就任という話が持ち上がる。仕掛け人は三宅裕司氏(劇団SET主宰)だった

 とにかく人にくっついていけば何とかなるだろう。私はそういう性格なんですよ。ですから、後々ドラマで主役をやるとか、舞台で一座を持つようになるとは考えてもみなかった。自分の一座なんて、特にね。

 あれは三宅裕司さんから伊東四朗一座をつくりませんかって言われて、絶対やらないって拒否していたら、彼が妙なキャッチコピーを考えてきたんですよ。『伊東四朗一座旗揚げ解散公演』だって。1回だけやったら解散していいのって。それで心が動いちゃってね。本当は騙しで、その後も5、6回やったんだけど。上手に乗せられましたよ。

――2018年、80歳で出演した『魔がさした記念コントライブ 死ぬか生きるか!』も三宅氏の仕掛け。

 三宅さんから電話があって『伊東さん、コントライブがいいですか、芝居がいいですか』って、いきなり。前振りがないんですよ。で、こっちも乗っちゃって。彼はそういうところがうまくてね。

――劇作家・三谷幸喜氏との出会いも印象的だったと振り返る。

 55歳の時かな。そろそろ舞台の仕事はなくなるのかとぼんやり思っていた時、テレビドラマで共演した石井愃一さん(劇団東京ヴォードヴィルショーの役者)から舞台やりませんかって声がかかった。聞いてみると三谷幸喜さんって若い脚本家が今度うちの劇団に書いてくれるのだという。その作品で伊藤博文の役があるけどやりませんかって。

 じゃ、とにかく三谷さんって人の芝居を観てみたいからって、当時上演していた『12人の優しい日本人』を観に行ったの。それでこの人が書くものだったら面白いかもしれないなって思って出演することにしたんだよ。それが『その場しのぎの男たち』(1992年)。明治時代の大津事件を扱った作品で、本当に物語のようなドタバタが日本政府にあったんじゃないかと思わせるような面白さにびっくりした。そんな縁で、その後も三谷さんとは何回もやらせてもらっていますね。

――人前に出ることが実は苦手と言う伊東さん。だが、喜劇やコントとなるといくつになっても血が騒ぐという。

 笑いってのは、お客さんが笑ってくれなきゃ成立しないですから、それだけにプレッシャーはうんとかかるんですよ。真面目な芝居はそういう意味ではプレッシャーはないですね。必ずウケるとも限らないし、笑いは非常に怖い。さんざん稽古してもここがウケると思っているところが、全くウケなかったりね。その逆もある。

 ある時、佐藤B作さん(劇団東京ヴォードヴィルショー主宰)と共演した舞台で、何でもない芝居のところでなぜかウケることがあったの。ふたりして何が面白いのって首をかしげたこともあった。芝居の流れというのは生き物だなって思いつつ、やっていますね。

 そういう難しさでいえば、一回挫折したことがあるんです。ある時、名古屋で喜劇をやったんですけど、初日に大爆笑をとったトコロが、次の日から千秋楽まで全くウケなくなった。何をやってもダメ。初日はどうやったのかもわからなくなった。今振り返ると原因はセリフのタイミングしかないんですよ。コンマ何秒の間まのズレが命取りになったんだと思う。喜劇で一番やっちゃいけないことは相手のセリフを覚えちゃうことなんです。何日も稽古していると、自然に覚えちゃうんですけどね。すると相手のセリフを知っているぞって、顔になるんですよね。ところがお客さんは初めて見るし、聞くわけですから、そこにズレができる。するとウケない。いったん、覚えたセリフは忘れないといけない。

――物柔らかな口調で語り続けるも、その言葉の行間には喜劇への並々ならぬ愛が読み取れる。怖いと言いながらも今後も喜劇のオファーがあれば引き受けますか? と問うと「いったんは拒否すると思うけど…やるかもしれないね」と喜色をたたえる。そんな伊東さんにとって〝100歳までにしたいこと〞はやはり喜劇…!?

 そこに持っていきますか。まさか今さら『シェイクススピア』をやりたいとは思わないけどね。自分が100歳まで生きるなんて全くイメージしてないからそんなこと考えたこともなかったけど、一番やりたいことですぐに思浮かんだのは、テニス。

 55歳の時に始めて20年続けたんですよ。今はヒザを壊してやってない。テニスほど面白いスポーツはないと思ったね。俊敏な動きが必要で、練習していけば、少しずつでも自分が成長していくのが実感できた。最初は打ち返したら当然ホームランですよ。ロブを打ち上げられても、背中から後方に走って頭から転んでいたしね。それがいつの間にか振り向いて後方に走れるようになって平然と打ち返している。それまではゴルフをやっていたけど、テニスは全身を使っての俊敏な動きが必要で、対戦スポーツとしての駆け引きや戦略とかもあって、自分の性に合ったんだろうね。

 ハマった後は、よくゴルフなんて続けてたな~なんて思ったもんだよ。今は、運動はウォーキング程度。歩いている途中で、テニスコートで楽しそうにやっている人たちを見かけると、足早に駆け抜けています。悔しいからね。

次のページ何かを覚えると自分に自信が持て、脳も瑞々しくなる気がします

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『一個人(いっこじん) 2020年02月号』

★創刊20周年記念 特別企画「最高のセカンドライフ」★
2000年に創刊した本誌『一個人』は、以来20年の間、成熟した個人が人生を謳歌するための術を紹介してきました。
節目となる本年最初の巻頭特集では創刊以来のコンセプト「私の時間を愉しむ」をテーマに、人生百年を謳歌するための心得と実践法をご紹介します。

【伊東四朗さん 略年表】
昭和12年(1937) 東京府東京市下谷区竹町(現在の台東区台東)にて5人兄弟の4番目として生まれる。
昭和24年(1949) アマチュア劇団を主宰していた長兄に引っ張り出され初舞台。
昭和31年(1956) 就職試験にことごとく落ち、早大や東大などの生協に掛け持ち勤務。
昭和33~34年(1958~59) 劇団「笑う仲間」が浅草・松竹演芸場で旗揚げ。参加する。
昭和34~36年(1959~61) 「笑う仲間」が解散となり「石井均一座」となる。
昭和38年(1963) 三波伸介、戸塚睦夫と共に「ぐうたらトリオ」を結成していたが、日劇支配人の要請により「てんぷくトリオ」に改名。人気に。
昭和43年(1968) ABC『てなもんや三度笠』の後期にほぼレギュラー出演。
昭和44年(1969) ~NHK大河ドラマ『天と地と』に出演、役者の仕事が増えていく。
昭和50年(1975) TBS『笑って笑って60分』(1975~81)で大人気に。
昭和51年(1976) NET『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』(1976-78)開始。ベンジャミン伊東、電線音頭、大ブレイク。
昭和54年(1979) TBS『ザ・チャンス』(1976~86)など司会業でも人気に。
昭和58年(1983) NHK連続テレビ小説『おしん』で好演。舞台に映画に大活躍。
昭和62年(1987) 映画『マルサの女』など出演。50歳に。
平成9年(1997) 還暦。文化放送『親父熱愛』はじまる(~現在)。
平成19年(2007) 古希。映画、ドラマなど多数出演。
平成29年(2017)~現在 傘寿。テレビに舞台に活躍中。

 

『一個人(いっこじん) 2020年03月号』

【大特集】 癒しの宿、特効の温泉。
東京五輪がいよいよ半年後に迫った2020年冬。日本の宿泊業界はさらなる盛り上がりを見せています。今月号の特集では、素晴らしい建造物を誇る宿から泉質自慢、美食自慢、さらにはバリアフリー完備の宿まで、今泊まるべき宿63軒を厳選。
さて、今度の休日は何処へ施設・泉質・美食に癒される目利きが厳選!
極上の温泉宿30シルバー世代も安心、子連れでも楽しめる現代の湯治場
親孝行に最適! バリアフリー温泉宿
滋賀県温泉寄稿 奥琵琶湖でゆったり湯治の旅
特別な日に泊りたいご褒美ホテルへ
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【特別企画】
特別寄稿 百歳までにしたいこと 西村京太郎さん
特別インタビュー 渡辺謙さん

<TOPIC>藤井聡太七段監修の将棋ゲームが登場
シニアのお悩み解消健康メソッド
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伊東 四朗

いとう しろう

俳優/コメディアン

昭和12年(1937)、東京都出身。1958年より劇団「笑う仲間」に参加。その後、石井均一座など舞台喜劇の世界で活動。63年頃から「てんぷくトリオ」として人気になり、その後も『てなもんや三度笠』『みごろ!たべごろ! 笑いごろ!』『笑って! 笑って!! 60分』など人気番組に出演。国民的ドラマとなったNHK朝の連続テレビ小説『おしん』でも好演を見せた。82歳の現在もドラマや映画、舞台、CMなど多彩な活躍を続ける。


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