戦慄しかない! 認知症の父の介護をする「独り暮らしの母」がボケた場合どうするか【母の確実な老い問題】
父の介護で見えてきたもの②:母の心配性
今の時点で見えてきたもの———世の中の頑迷な男尊女卑の慣習とむき出しの自分エゴと向き合う苦しみでもあった。では、どうすれば良いのか? 介護を親孝行の感情から、それに向き合う時間とお金の「勘定」=「マネジメント」の観点から捉え直していきます。今回は介護では「戦友」でもある「母の老い」をテーマに新たなるリスクを考えます。
◆父の介護で見えてきたもの———母の心配性
特養老人ホームに入って1年も経つと、父はかなり安定してきた。
体重も減り、体も軽くなったようで、目を見張るような動きもたまにする。以前は出っ張った腹のせいで、自分で靴を履けなかった父が、先日、自分で靴を履いている姿を目撃した。スタッフさんや入居している人に話を聞くと、自分の足でちゃんと歩いて、普通に過ごしているときもあるそうだ。
ああ、私たちは甘やかしすぎてきたのかと反省もする。
見守ってくれる人がたくさんいるホームにいる父は、ひとまず私の心配の対象ではなくなった。
むしろ独り暮らしをしている母のほうが心配になった。
とにかく心配性で、事件や事故が起きると必要以上に感情移入して、勝手に揺さぶられている。先日も「アポ電強盗事件(まずアポイントの電話で高齢者の身辺に探りを入れて、のちに家を襲撃して、強盗殺害をはたらく輩の事件)」の報道をテレビで観て、戦々恐々としているのだ。
夜は出歩かず、戸締まりを何度も確認。携帯電話は留守電をセットし、防犯意識としては、いい心がけである。
ところが、だ。やはりそこは高齢者だなと思わせることがあった。
私は母に電話をかけるとき、必ず「もしもし、潮です」と名乗るようにしている。母もそれはわかっているはずなのだが、銀行の男性から電話がきたときに、てっきり私だと勘違いして、
「あんた、風邪ひいたの? 声がおかしいわよ」
と言ったそうだ。もし相手が手練れの犯罪者だったら、まんまと話を進めるところである。心配性のクセに肝心なところで抜けている、これが母の性質であり、悪しき特徴だ。
◆母までボケたら・・・戦慄しかない!
その母がボケたらどうしよう。
ケガや病気で入院する可能性もゼロではないが、要介護状態になったら、少ない年金額の中でどうやりくりするべきか、と今から考えている。ホームに入れる前提で。そのことを母に話したら、
「そういえば、私の父も、最後は認知症が入ってたからねぇ」
と脅しやがる。
そして、祖父母の驚きのエピソードを話しやがる。
「父さんは、和裁の仕事で忙しい母さんを助けようとして、炊飯器を火にかけたらしいし、最後は病院でウンコも投げてきたのよ。母さんは母さんで、何度も同じことを言って、かなりの心配性だったっていうからねぇ」
戦慄しかない!
でも、先のことを勝手に心配しても始まらないし、時間の無駄だ。
極力、母とは密に連絡を取り、刺激を与えて、母と自分の健康に気遣おうと思っている。(『親の介護をしないとダメですか?』より構成)