認知症で薄れゆく父の記憶、介護する娘の切なる思いはたった一つ「父に認められたい」ことだった
親の介護をしないとダメですか?【最終回】
最後の最後で見えてきたもの———最終回は、介護する娘として何と向き合ったのか? 私たちが本当に最後の依り代となるものは、「お父さん、あのね・・・」そう、子供の頃から温めてきたたった一つの思いなのかもしれない。
◆父の介護で見えてきたもの “父に認められたい病”
今後、父とは意思の疎通ができなくなっていくかもしれない。私のことを忘れてしまう可能性も高い。
「どちらさまですか?」の軽口が、冗談じゃなくなる日もそう遠くはないだろう。それでも私は定期的に通い続ける。
父の介護に向き合う自分の源はなんだろうと考えた。
「甲斐甲斐しく父の元へ通う孝行娘と思われたい」「父の介護をネタに善人と思われたい」「介護にかかわることでの自己満足」「父をネタにして金を稼ぎたい」。いずれも本心だ。
でももっと根源的なところで、私は父に認められたいのだと気づいた。
父は私を「不肖の娘」と思っているフシがある。大学まで出してやったにもかかわらず胡散臭いフリーランス稼業で、何度も結婚している。最終的に家業を継いだ長男の嫁になったにもかかわらず、家業は一切手伝わず。父にとっては恥ずかしい娘なのだ。
昔から、変わり者だがとびぬけた才能の持ち主で、海外に飛び出して十数年生き抜いた姉(イラストレーターの地獄カレー)のことは、対外的にも自慢の種だった。さらに自分が生まれた田舎に居を構え、墓守娘となった姉を誇りに思っている。誇りに思っているし、いまだに「愛娘」として心配と寵愛の対象でもある。
私はどんなに頑張っても、雑誌や新聞で署名原稿を書いても、テレビに出ても、「父の自慢の娘」にはなれなかった。
それが悔しい。
どこかで、私は父に認められたいのだろうと思った。慢性の「父に認められたい病」なのだ。
親の介護のために離職したり、自宅介護でにっちもさっちもいかなくなった人も、もしかしたら、この承認欲求が強いのかもしれない。
父の記憶から一番初めに消え去るのがたぶん私だ。母でも姉でもない。
そこは妙な自信もある。
私は私で、歪んだ承認欲求を一方通行で投げ続ける。自分の生活と父の介護はちょっと距離を置いた状態で、「私を認めて~」と要求し続けていく。
自分でも気持ちが悪いなと思うのだが、私はファザコンなのだと改めて痛感している。【完】
(『親の介護をしないとダメですか?』より構成)